プロローグ:崖っぷちからの大逆転劇
「社民党が崖っぷちからはい上がるドラマにあなたも出演しませんか」
2025年7月の参院選で、こんな言葉で有権者に訴えかけたのは、俳優のラサール石井氏だった。そして選挙結果は、まさにドラマティックな展開となった。社民党は比例代表で121万7823票(2.06%)を獲得し、得票率2%をクリアして政党要件を死守。ラサール氏の当選とともに、党の消滅という最悪のシナリオを回避した。
この奇跡とも言える結果の立役者が、福島みずほ党首(69歳)だ。弁護士として選択的夫婦別姓や慰安婦問題に取り組み、1998年に参議院議員となって以来、一貫してリベラルの旗を掲げ続けてきた福島氏。69歳の今も「ミサイルよりコメを」という分かりやすいスローガンで、政治の在り方を問い続けている。
第1章:宮崎から東大へ―才女の歩み
1955年12月24日、宮崎県延岡市に生まれた福島瑞穂氏(選挙では平仮名の「みずほ」表記を使用)。父は宮崎銀行勤務で転勤が多く、宮崎県内の小学校を転々とした。宮崎大学教育学部附属中学校、宮崎県立宮崎大宮高等学校と地元の名門校で学び、全国模試で1位になったこともある才女だった。
1980年、東京大学法学部を卒業。しかし、司法試験の合格は容易ではなかった。後に夫となる弁護士の海渡雄一氏が先に合格した際、福島氏は落ちており、「自分の親や、彼、彼の親に公衆電話で『落ちました』と報告したときは本当につらかった」と後に振り返っている。
第2章:人権派弁護士として
1987年に弁護士登録し、第二東京弁護士会に所属した福島氏は、女性や子どもに関する人権問題に力を入れた。セクシュアルハラスメント裁判、賃金差別の裁判、妊娠・出産で退職に追い込まれる女性の裁判などを担当した。
特に力を入れたのが選択的夫婦別姓制の導入だった。1988年、ある国立大学助教授の旧姓使用を求める裁判を担当。9年後に一部和解が成立したものの、「10年かかった裁判で私が感じたのは、旧姓を通称として使うことのためだけに、なんて歳月とエネルギーが必要なんだ!」という思いが、後の政治活動の原動力となった。
福島氏が弁護士時代に関わった問題の中で最も論争を呼んだのが慰安婦問題だった。1992年、元慰安婦金学順らの代理人を務め、アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件を担当。この問題への関与については現在でも賛否両論があるが、人権弁護士としての信念に基づく活動だった。
第3章:事実婚という生き方の選択
福島氏の人生で大きな決断の一つが、海渡雄一氏との事実婚という選択だった。司法修習生の時に娘が生まれ、「自分自身のライフスタイルとして、選択的夫婦別姓、婚外子差別の撤廃を、趣味と生きがいと実益を兼ねてやり抜く。法律家なんだから、自分ごととして法制度上の差別を変えていこう」と決めたからだった。
しかし、この選択は周囲の理解を得るのが困難だった。「双方の両親はやはり心配していました。私の母と姉が彼の事務所に、『どうか婚姻届を出してください』と手紙を送ってきたこともありました」という状況だった。
娘について福島氏は「『未婚の母』として、『婚外子』として娘を産み育てていいのか、やはりすごく迷い、悩みました。正直、周囲と違う人生を歩むのが怖かった」と当時の心境を明かしている。
第4章:政治の世界へ―土井たか子からの誘い
1998年、土井たか子氏に誘われ、社民党から参議院比例区で立候督し初当選。2004年、2010年、2016年、2022年と当選を重ね、現在5期目の参議院議員として活動している。
2009年の政権交代で誕生した鳩山内閣で、福島氏は内閣府特命担当大臣に就任。DV被害者支援、児童虐待防止、労働者派遣法改正などに取り組んだ。しかし、2010年5月、沖縄の普天間基地移設問題で辺野古への新基地移設の閣議決定の署名を拒否し、鳩山首相によって大臣を罷免された。この出来事は福島氏の政治信念を象徴する事件として語り継がれている。
第5章:社民党党首として―3度目の就任
福島氏は社民党党首を3回務めている。現在は2023年から3回目の党首を務めており、2023年12月の党首選挙では無投票で当選した。
党首として福島氏が直面している最大の課題は、社民党の存続そのものだった。政党要件である得票率2%を維持することが、文字通り党の生死を分ける問題となっていた。
第6章:「ミサイルよりコメを」―明確な政策メッセージ
2025年参院選で福島氏が掲げた政策スローガンは「ミサイルよりコメを」だった。防衛費について「2022年度に5兆円だったものが、25年度には8兆7000億円になり、今、米国が日本の防衛費をGDP比で2%から3.5%に引き上げることを迫っており、それだと防衛費が21兆円になってしまう」と訴えた。
具体的な政策として、以下を提唱している:
- 食料品の消費税即ゼロ
- 最低賃金全国一律1500円
- 働く者たちの社会保険料負担を半額にする
- 社会保険料の労使負担割合を1:1から1:3に変更し、中小零細企業の負担増分には公費助成で補填
これらの政策は、生活に直結する分かりやすい内容で、有権者にアピールする力を持っている。
第7章:人物像とユニークなエピソード
豊富な著作活動と国際的評価
福島氏は30冊余りの著書を執筆している。『娘たちへ』『「意地悪」化する日本』など、タイトルからも彼女の政治姿勢が窺える。特に対談集が多く、山田太一、やなせたかし、佐藤優、内田樹など、幅広い分野の識者との対談を通じて思想を深めている。
2021年6月23日、福島氏はフランス共和国の国家功労勲章シュヴァリエに叙された。これは国際的な人権活動が評価されたもので、日本の政治家としては珍しい栄誉だった。
議員生活25年の重み
2023年2月8日、参議院本会議で議員25年の永年在職表彰を受けた。参議院で25年の永年在職表彰を受けた85人のうち、女性はわずか7人で、野党の女性議員では1984年の市川房枝氏以来という快挙だった。
第8章:党の再起動への取り組み
2025年参院選後、福島氏は「社民党をリブート(再起動)し、ブレずに、元気に、面白くしていく」と語った。この「リブート」という表現は、IT用語を使った現代的な表現で、従来の政治家にはない感性を示している。
排外主義を主張する政党の躍進について「大変危機感を持つ。立憲主義を掲げる人々と力を合わせ、差別と排外主義を許さない政治に立て直す」と強調し、リベラル勢力の結集を呼びかけている。
俳優のラサール石井氏が社民党から立候補し当選したことは、党にとって大きな話題となった。ラサール氏は「街頭で、社民党が崖っぷちからはい上がるドラマにあなたも出演しませんか」と訴え、エンターテインメント性のある選挙活動を展開した。
2024年11月11日、福島氏は参議院行政監視委員長に就任。野党議員として政府の政策や行政運営をチェックする重要な役割を担っている。
エピローグ:リベラル政治のラストホープ
宮崎県延岡市で生まれ、東京大学法学部を卒業し、弁護士として人権問題に取り組み、事実婚という生き方を選択し、政治家として一貫してリベラルの旗を掲げ続けてきた福島みずほ氏。
69歳の今も「ミサイルよりコメを」という分かりやすいスローガンで、多くの有権者に政治への関心を呼びかけている。社民党の政党要件を死守した2025年参院選は、まさに彼女の政治人生の集大成とも言える戦いだった。
選択的夫婦別姓、脱原発、平和憲法の堅持、格差是正など、福島氏が一貫して主張してきたテーマは、現在でも多くの国民の関心事だ。政党の規模は小さくとも、その発信力と存在感は決して小さくない。
弁護士時代から一貫して弱者の立場に立ち続けてきた69歳の政治家が、日本のリベラル政治の「ラストホープ」として、今後もその動向が注目される。「社民党をリブート(再起動)し、ブレずに、元気に、面白くしていく」という言葉通り、最後にどのような政治的遺産を残すのか。その答えは、これからの政治活動にかかっている。
※本記事は2025年9月時点の情報に基づいて作成されています。