戦後の日本経済は、高度成長期の華々しい発展から、バブル経済の崩壊、そして「失われた30年」まで、劇的な浮き沈みを経験してきました。ここでは、名前のついた主要な好景気と不景気を時系列で振り返ります。
- 1. 神武景気(1954年12月~1957年6月)
- 2. なべ底不況(1957年7月~1958年6月)
- 3. 岩戸景気(1958年7月~1961年12月)
- 4. オリンピック景気(1962年11月~1964年10月)
- 5. 証券不況・40年不況(1964年11月~1965年10月)
- 6. いざなぎ景気(1965年11月~1970年7月)
- 7. ニクソン・ショック(1971年)
- 8. 列島改造ブーム(1972年頃)
- 9. 第一次オイルショック(1973年~1974年)
- 10. 第二次オイルショック(1979年~1980年)
- 11. 円高不況(1985年~1986年)
- 12. バブル景気(1986年12月~1991年2月)
- 13. 平成不況・失われた10年(1991年~2000年代初頭)
- 14. ITバブル崩壊(2000年~2001年)
- 15. いざなみ景気(2002年2月~2008年2月)
- 16. リーマンショック(2008年~2009年)
- 17. 東日本大震災不況(2011年)
- 18. アベノミクス景気(2012年12月~2018年10月)
- 19. コロナショック(2020年~)
- まとめ
1. 神武景気(1954年12月~1957年6月)
背景と原因
戦後復興が一段落し、朝鮮戦争による特需の効果もあって、日本経済は本格的な成長軌道に乗り始めました。設備投資の拡大と輸出の増加が景気を牽引しました。
影響
初代天皇である神武天皇以来の好景気という意味で命名されたこの景気は、日本の高度経済成長の幕開けとなりました。鉱工業生産は大きく伸び、三種の神器(白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫)が普及し始める契機となりました。
2. なべ底不況(1957年7月~1958年6月)
背景と原因
神武景気後の引き締め政策と、国際収支の悪化により景気が後退しました。輸出の鈍化と在庫調整が重なりました。
影響
鍋の底のように浅くて短い不況という意味で命名されました。幸いにも11ヶ月という短期間で終息し、日本経済の回復力の強さを示しました。
3. 岩戸景気(1958年7月~1961年12月)
背景と原因
なべ底不況を脱し、再び設備投資ブームが到来しました。重化学工業を中心とした産業の発展と、消費の拡大が景気を押し上げました。
影響
「岩戸」は天照大神の岩戸開き神話に由来し、神武景気を超える好景気という意味が込められていました。この時期、池田勇人首相の「所得倍増計画」が発表され、高度経済成長への期待が高まりました。42ヶ月間続いたこの景気は当時の戦後最長記録となりました。
4. オリンピック景気(1962年11月~1964年10月)
背景と原因
1964年の東京オリンピック開催に向けたインフラ整備が、経済を大きく刺激しました。東海道新幹線や首都高速道路などの建設が進められました。
影響
オリンピック関連の建設需要が経済を活性化させましたが、オリンピック後には反動で景気後退が訪れました。この「オリンピック不況」は、イベント開催後の景気悪化の典型例として、後世に教訓を残しました。
5. 証券不況・40年不況(1964年11月~1965年10月)
背景と原因
東京オリンピック終了後の反動と、金融引き締めにより景気が後退しました。株価の下落により証券会社の経営が悪化し、山一證券への日銀特融が実施されました。
影響
戦後初の大型倒産(山陽特殊製鋼)が発生し、金融システムへの不安が高まりました。この危機を契機に、企業の財務体質強化の重要性が認識されました。
6. いざなぎ景気(1965年11月~1970年7月)
背景と原因
証券不況を脱し、輸出の拡大と設備投資の増加により、日本経済は未曾有の好景気を迎えました。技術革新と生産性の向上が続きました。
影響
57ヶ月間続いたこの景気は、当時の戦後最長記録となりました。「いざなぎ」という名は、日本神話の国生み神話から取られ、この時期に日本のGNPは資本主義国で第2位となり、「経済大国」への仲間入りを果たしました。
7. ニクソン・ショック(1971年)
背景と原因
1971年8月、アメリカのニクソン大統領がドルと金の交換停止を突如発表しました。これにより、戦後の国際通貨体制であるブレトンウッズ体制が崩壊しました。
影響
円が急激に切り上げられ(1ドル=360円から308円へ)、輸出産業に大きな打撃を与えました。日本経済は「円高不況」に陥り、企業は円高への対応を迫られました。
8. 列島改造ブーム(1972年頃)
背景と原因
田中角栄首相の「日本列島改造論」に基づく開発政策が、土地投機を引き起こしました。公共事業の拡大と金融緩和政策が景気を刺激しました。
影響
地価の高騰とインフレーションが進行し、1973年の第一次オイルショックと重なって、深刻な物価上昇を招くことになります。
9. 第一次オイルショック(1973年~1974年)
背景と原因
1973年10月の第四次中東戦争をきっかけに、石油輸出国機構(OPEC)が原油価格を大幅に引き上げました。原油価格は約4倍に高騰しました。
影響
「狂乱物価」と呼ばれる激しいインフレーションが発生し、トイレットペーパー騒動などのパニックが起きました。1974年には戦後初のマイナス成長を記録し、高度経済成長期が終焉を迎えました。企業は省エネルギー技術の開発を進め、産業構造の転換が促されました。
10. 第二次オイルショック(1979年~1980年)
背景と原因
1979年のイラン革命により、再び原油価格が高騰しました。原油価格は約3倍に上昇しました。
影響
第一次オイルショックの教訓から、日本企業は省エネルギー化を進めていたため、経済への影響は第一次ほど深刻ではありませんでした。しかし、世界的な景気後退により、日本の輸出産業も打撃を受けました。
11. 円高不況(1985年~1986年)
背景と原因
1985年9月のプラザ合意により、先進5カ国がドル高是正に合意しました。これにより円は急激に増価し、1年で1ドル=240円から150円台へと円高が進みました。
影響
輸出産業は大きな打撃を受け、特に中小企業の倒産が相次ぎました。地方経済も深刻な影響を受けました。この危機対応として実施された金融緩和政策が、後のバブル経済の原因となりました。
12. バブル景気(1986年12月~1991年2月)
背景と原因
円高不況対策として実施された金融緩和政策により、過剰な流動性が発生しました。低金利環境下で、株式や不動産への投機が過熱しました。
影響
株価と地価が実体経済から乖離して異常に高騰しました。1989年末には日経平均株価が史上最高値の38,915円を記録。しかし、1990年からの金融引き締めにより、バブルは崩壊し、「失われた10年」の始まりとなりました。不良債権問題が金融システムを長期にわたって苦しめることになりました。
13. 平成不況・失われた10年(1991年~2000年代初頭)
背景と原因
バブル崩壊により、株価と地価が暴落しました。金融機関には巨額の不良債権が発生し、企業や銀行のバランスシート調整が長期化しました。
影響
1997年には山一證券、北海道拓殖銀行など大手金融機関が破綻し、金融危機が深刻化しました。デフレーションが進行し、企業はリストラを断行、終身雇用制度が崩れ始めました。就職氷河期世代が生まれ、若年層の雇用問題が深刻化しました。
14. ITバブル崩壊(2000年~2001年)
背景と原因
1990年代後半のインターネット関連企業への過度な期待と投資が、2000年に入って崩壊しました。アメリカのナスダック市場の急落が世界に波及しました。
影響
日本でも新興IT企業の株価が暴落し、景気は再び後退局面に入りました。ただし、日本は既にバブル崩壊後の低迷期にあったため、欧米ほどの影響は受けませんでした。
15. いざなみ景気(2002年2月~2008年2月)
背景と原因
バブル崩壊後の長い低迷から、ようやく回復の兆しが見えました。中国経済の急成長による輸出拡大と、企業のリストラによる収益改善が景気を支えました。
影響
73ヶ月間続き、戦後最長の景気拡大となりましたが、「実感なき景気回復」と呼ばれました。企業収益は改善したものの、賃金の伸びは限定的で、格差の拡大が社会問題となりました。2008年のリーマンショックにより終焉を迎えました。
16. リーマンショック(2008年~2009年)
背景と原因
2008年9月、アメリカの投資銀行リーマン・ブラザーズが破綻し、世界的な金融危機が発生しました。サブプライムローン問題が引き金となりました。
影響
世界同時不況となり、日本の輸出は急減しました。2009年の実質GDP成長率はマイナス5.4%と、戦後最悪の落ち込みを記録しました。製造業を中心に「派遣切り」が相次ぎ、雇用情勢が急激に悪化しました。
17. 東日本大震災不況(2011年)
背景と原因
2011年3月11日に発生した東日本大震災と、それに伴う福島第一原発事故により、日本経済は大きな打撃を受けました。
影響
サプライチェーンの寸断により生産活動が停滞し、電力供給不足も経済活動を制約しました。しかし、復興需要により比較的短期間で景気は持ち直しました。原発停止により火力発電への依存が高まり、貿易収支が悪化しました。
18. アベノミクス景気(2012年12月~2018年10月)
背景と原因
第二次安倍政権下で実施された「三本の矢」(大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略)による経済政策が、景気を下支えしました。
影響
71ヶ月間続き、戦後2番目の長さとなりました。日銀の異次元金融緩和により株価は上昇しましたが、物価目標2%は達成できず、賃金上昇も限定的でした。構造改革の遅れも指摘されました。
19. コロナショック(2020年~)
背景と原因
2020年初頭から世界的に拡大した新型コロナウイルス感染症により、経済活動が大幅に制限されました。緊急事態宣言により、サービス業を中心に深刻な影響を受けました。
影響
2020年第2四半期のGDPは前期比年率マイナス28.1%という記録的な落ち込みとなりました。インバウンド需要が消失し、飲食・観光業が壊滅的打撃を受けました。テレワークの普及など、働き方や生活様式の変化が加速しました。政府は特別定額給付金などの大規模な経済対策を実施しました。
まとめ
日本の戦後経済は、高度成長期の「神武」「岩戸」「いざなぎ」から、オイルショック、バブルの熱狂と崩壊、そして長期停滞の時代へと移り変わってきました。景気循環の名称には、その時代の期待や雰囲気が反映されています。
好景気の時期には神話の神々の名が使われ、経済成長への高揚感が表現されました。一方で、不景気の時期には「オイルショック」「リーマンショック」「コロナショック」など、外的要因による「ショック」という言葉が使われることが多くなっています。
これらの経験から学ぶべきは、持続可能な成長の重要性です。過度な投機や実体経済から乖離した資産価格の高騰は、必ず調整局面を迎えます。また、グローバル化が進んだ現代では、海外発の危機が瞬時に日本経済に波及します。
今後の日本経済には、生産性の向上、イノベーションの促進、そして全ての人が恩恵を感じられる包摂的な成長が求められています。また、気候変動や感染症など、新たなリスクへの対応力を高めることも重要な課題となっています。

