プロローグ:102年目の歴史的転換
「私の責務は必ず自民党政治を終わらせることだ」
2024年1月、この力強い決意表明とともに、田村智子氏は日本共産党史上初の女性委員長に就任した。結党102年を迎えた老舗政党の歴史的転換点。「タムトモ」の愛称で親しまれる彼女の歩みは、一人の女性が挫折を乗り越えて政治の頂点に立った、現代日本の縮図でもある。
第1章:信州の合唱少女
1965年7月4日、長野県小諸市で生まれた田村智子氏(旧姓・山崎)。実家は紙と文具の卸商で、父親はキリスト教の信者という家庭で育った。
音楽への才能は早くから開花し、小学5年生でNHK全国学校音楽コンクールに長野県代表として出場。高校時代にはヴェルディやモーツァルトのレクイエムを歌い、文化祭では3年連続でオペラを上演するという、地方高校生としては異例の文化活動を展開していた。
第2章:早稲田での転機―「おかしいよね」から始まった政治人生
1984年、早稲田大学第一文学部に入学した田村氏は、混声合唱団で「毎日が歌、どこでも歌」という青春を送っていた。しかし入学年の冬、大学が「スライド制学費」(毎年学費値上げ)を発表したことが人生を変えた。
「これで庶民の早稲田といえるのか」と疑問を抱いていた時、クラスメートが「おかしいよね」と声をかけてきた。このクラスメートが日本民主青年同盟のメンバーで、「学生運動=危険」と思っていた田村氏も、「値上げしなくても大学は黒字」という分析に納得し、運動に協力するようになった。
ストライキは失敗したが、この経験で民青同盟に加盟を決心。1985年10月、親の反対を振り切って日本共産党に入党した。
第3章:6回の落選を乗り越えて
卒業後は民青、国会議員秘書として政治の現場を学んだ田村氏。2人の子どもを育てながら、1998年から2007年まで国政選挙に6回挑戦するも全て落選。諦めない心で2010年の参院選に臨み、7回目でついに初当選を果たした。
ただし、自分が当選した一方で現職議員2人が落選したため、「素直に喜べなかった」と振り返る謙虚さも見せている。
第4章:論客として頭角を現す
参議院議員として、田村氏は「派遣切り」での街頭相談の経験から非正規雇用問題に一貫して取り組んだ。特に国立大学や研究機関での「雇い止め」を日本の研究力問題として追及し、米Science誌、英Nature誌からも注目される成果を上げた。
全国的に名前が知られるようになったのは、安倍晋三元首相の「桜を見る会」前夜祭を徹底追及したことだった。緻密な資料分析と論理的な質疑で政府を追い込む姿は、多くの国民に強い印象を残した。
第5章:党内での複雑な立場
一方で、田村氏は党内問題でも注目を集めた。2022年、小池晃書記局長から議事進行中に不当な叱責を受けるパワハラ事件が発生。しかし田村氏は「叱責されたという認識を全く持っていなかった」と語り、「身近なハラスメント問題には鈍感力を発揮してきた」と批判されることもあった。
2024年の党大会では、党運営に苦言を呈した県議に対して延々と批判を展開し、「田村よ、お前もか」(週刊文春)と報じられるなど、党内民主主義をめぐって論争を呼んだ。
第6章:「自民党打破宣言」を掲げる新委員長
委員長就任時に田村氏が掲げた「自民党打破宣言」は3つの柱から成る:
- 経済再生:消費税減税とインボイス廃止、中小企業支援
- 憲法9条を生かした政治:軍事費2倍ではなく社会保障と教育予算の増加
- ジェンダー平等:選択的夫婦別姓の実現など
2025年参院選では「自公を少数で消費税減税」を最優先課題として掲げ、「物価高騰から暮らしをどう守るのかが大争点」と訴えている。
第7章:人物像―合唱で培った政治力
長年の合唱経験で培った発声力は、田村氏の最大の武器だ。国会質疑での明瞭な語り口や街頭演説での力強い声は、この経験に裏打ちされている。
「子どもや親のゆとりを奪う『構造改革』と対決してきた」と語る通り、2人の子どもを育てた母親としての視点も政策に反映されている。データに基づく緻密な分析手法は、早大での学術的素養と政治経験が組み合わさって生まれたものだ。
第8章:ユニークなエピソード
- 高校でオペラ上演:地方高校で3年連続オペラに挑戦
- 卒論で初めて「学んだ」実感:「残念ながら卒論のときに始めて学んだと実感できた」という率直な回想
- クリスチャンの父:共産党員でありながら宗教的背景を持つ家庭環境
- 「タムトモ」の愛称:親しみやすい人柄を表す愛称で党のイメージ刷新にも貢献
第9章:これからの挑戦
党勢低迷という課題を背負って委員長に就任した田村氏。野党間の消費税減税協議では積極姿勢を見せているが、他党との関係構築は容易ではない。
日本共産党史上初の女性委員長として、ジェンダー平等実現への期待も大きい。後続の女性政治家のロールモデルとしての責任も担っている。
エピローグ:合唱から政治へ、変革への道筋
小諸市の合唱少女が、学費値上げ反対運動をきっかけに政治の道に入り、6回の落選を経て国会議員となり、ついに党の頂点に立った。その歩みは、戦後日本社会における女性の地位向上と重なっている。
「変える。」というシンプルで力強いメッセージを掲げる田村氏。合唱で鍛えた発声力、6回の落選で培った不屈の精神、母親としての視点、研究者的な分析力。これらすべてが組み合わさった時、「タムトモ」の真の政治力が発揮される。
59歳の新たな挑戦者が描く日本の未来。102年の歴史を持つ政党の変革は、これから始まる。
※本記事は2025年9月時点の情報に基づいて作成されています。