2025年12月8日、タイ軍がカンボジア軍の陣地に対する空爆を実施したとの発表が世界を駆け巡った。わずか2ヶ月前にトランプ米大統領立会いのもとで調印された和平合意は、事実上崩壊した形となる。100年以上にわたり両国を隔ててきた国境問題が、再び深刻な武力衝突へと発展している現状を整理する。
最新の事態:タイ軍による空爆実施
タイ軍報道官のウィンタイ・スワリー少将は12月8日、カンボジアとの国境地帯においてカンボジア軍砲兵部隊の陣地を空爆したと発表した。タイ軍によれば、同日早朝にタイ東北部ウボンラチャタニ県付近の係争地で銃撃戦が発生し、タイ軍兵士1人が死亡、8人が負傷した。タイ空軍はF-16戦闘機を出動させ、「軍事施設のみを対象とした」と説明している。
一方、カンボジア国防省報道官は同日、タイ軍からの攻撃を受けたことを認めつつも、カンボジア軍は反撃していないと主張。双方が衝突の責任をめぐり非難し合う構図が続いている。
この空爆は、11月10日にタイが和平合意の履行停止を発表して以降、初めての本格的な軍事行動となる。
7月の大規模衝突:停戦までの経緯
今回の事態を理解するには、2025年7月に発生した大規模衝突から振り返る必要がある。
緊張激化の発端
2025年5月14日、タイ軍の巡回部隊が「チョンボック」と呼ばれる係争地において、カンボジア兵数百人が全長650メートルに及ぶ塹壕を掘削しているのを発見した。これは両国間で合意された「現状変更禁止」の原則に反するものであり、タイは強く反発。5月28日には両軍の銃撃戦が発生し、カンボジア兵1人が死亡した。
事態はその後も悪化の一途をたどる。タイは6月6日にカンボジアへの圧力として国境検問所を閉鎖。カンボジアは対抗措置として6月23日よりタイからのすべての輸入品、インターネットおよび電力供給を停止すると発表した。
7月16日と23日には、タイ兵が巡回ルート上で地雷を踏み負傷する事件が相次いだ。タイ軍は現地でロシア製のPMN-2対人地雷335個を回収。これはオタワ条約で使用が禁止されている兵器であり、タイはカンボジアによる条約違反と強く非難した。
7月24日の本格衝突
2025年7月24日朝、タイ当局はカンボジアのドローンがターメーントム遺跡前の空域を旋回しているのを確認。その後、武装したカンボジア兵6名がタイ軍基地に接近し発砲した。数時間後、カンボジア軍はBM-21多連装ロケットランチャーを使用し、タイ領内の民間地域を攻撃。この第一波攻撃により、タイ国内の商業施設や病院が被害を受け、民間人14名が死亡した。
5日間にわたる戦闘の結果、両国合わせて少なくとも48人が死亡、30万人以上が避難を余儀なくされた。
トランプ大統領の仲介と停戦
訪英中のトランプ米大統領は7月26日、両国首脳とそれぞれ電話会談を実施。「戦争が続く限り、どちらの国とも貿易取引を行わない」と通告し、停戦を迫った。この強硬姿勢が功を奏し、7月28日にマレーシアのアンワル首相の仲介のもと、両国は即時かつ無条件の停戦で合意した。
10月26日には、ASEAN首脳会議が開催されたマレーシア・クアラルンプールで和平宣言に署名。トランプ大統領自身も式典に立ち会い、この「外交的成果」を誇示した。
和平合意の崩壊
しかし、その和平は長くは続かなかった。
11月10日、タイのアヌティン首相はカンボジアとの和平合意の履行停止を発表。理由として、タイ軍兵士が国境付近で地雷を踏んで負傷したことを挙げた。アヌティン首相は「安全保障上の脅威が小さくならない限り、和平合意の履行をすべて停止する」と宣言し、「和平への道は終わった」と述べた。
カンボジア側は新たな地雷の敷設を否定し、1970〜80年代のカンボジア内戦時代の地雷が残存していたものだと主張したが、両国の信頼関係は完全に損なわれた。
そして12月7日にはシーサケート県で銃撃戦が発生してタイ兵2人が負傷、翌8日のウボンラチャタニ県での衝突とタイ軍による空爆へとつながった。
紛争の歴史的背景
この紛争の根源は、19世紀末から20世紀初頭の植民地時代にまで遡る。
植民地時代の国境画定
西欧列強が植民地化する以前、東南アジアに「国境で区切られた国家」という概念は存在しなかった。明確な境界のない緩やかな政治体制のもとで統治が行われていた。
現在の国境線の原型は、1904年と1907年にフランスとシャム王国(現タイ)の間で締結された条約に基づく。この際、フランスが作成した地図において、係争地となっているプレアビヒア寺院周辺はカンボジア領として描かれた。しかしタイ側は、地図に誤りがあり、1904年の条約文では寺院がタイ領内に存在するように記されていると主張している。
国際司法裁判所の判決
第二次世界大戦後、タイがプレアビヒア寺院に警備兵を配置し実効支配を開始。1959年にカンボジアが国際司法裁判所(ICJ)に提訴し、1962年の判決で寺院周辺におけるカンボジアの主権が認められた。
2008年にプレアビヒア寺院がユネスコの世界遺産に登録されると紛争が再燃。2011年には大規模な武力衝突が発生し、複数の死傷者と避難民が出た。2013年にはICJが再びカンボジアの領有権を認める判決を下したが、タイは二国間協議による解決を主張し、ICJの管轄権を認めていない。
両国政治の複雑な絡み合い
今回の紛争激化には、両国の国内政治が複雑に絡み合っている。
タイでは2023年にタクシン派を中心とする連立政権が発足したが、タクシン派と反タクシン派の対立は依然として続いている。2024年、タクシン派のセター首相がカンボジアとの海上共同資源開発計画の復活で合意すると、反タクシン派は「売国奴」と批判して猛反発した。
さらに事態を複雑にしたのが、ペートンタン首相とカンボジアのフン・セン前首相との電話会談音声の流出事件である。2025年6月、国境問題の沈静化を図るべくペートンタン首相がフン・セン氏と非公式に電話会談を行ったが、その内容がカンボジア側から流出。会談でペートンタン首相がフン・セン氏を「おじさん」と親しげに呼び、タイ軍高官を批判する発言をしていたことが明らかになり、タイ国内で大きな反発を招いた。
この事件を受け、ペートンタン首相は7月1日に職務停止を命じられ、政権基盤は大きく揺らいだ。なお、ペートンタン首相の父タクシン元首相とフン・セン氏は長年の盟友であり、フン・セン氏が2009年に国外逃亡中のタクシン氏を経済顧問に招くなど、両者の関係は深かった。その「盟友との絆」が断ち切られたことも、紛争激化の一因とされている。
今後の展望と課題
現時点で戦闘は複数の地域に拡大しており、事態収束の見通しは立っていない。
国際社会の対応
7月の衝突時には、米国、中国、ASEANが連携して停戦を働きかけた。国連安全保障理事会も緊急会合を開き、15カ国すべてが両国に緊張緩和と最大限の自制を求めた。しかし、トランプ大統領が仲介した和平合意が2ヶ月足らずで崩壊したことで、国際的な調停の実効性に疑問符がついている。
地域経済への影響
タイ商務省は国境輸出の経済損失が600億バーツ(約2,700億円)に上ると試算している。両国の国境検問所閉鎖により貿易や人の往来が妨げられ、カンボジア国内ではガソリンや生活必需品が不足する状況も発生した。
米中対立やトランプ関税によってサプライチェーン戦略の見直しが進む中、タイ・カンボジア紛争は新たな不確定要因として浮上している。
根本的解決の困難さ
専門家は、恒久的な平和の実現には絶え間ない対話が不可欠だと指摘する。しかし、相互不信と国家主義的な政治姿勢が何度となく交渉を阻害してきた歴史がある。
タイは二国間協議を通じた現状維持を主張する一方、カンボジアはICJへの再提訴による事態収束を目指しており、両国の認識の隔たりは大きい。
結びに
タイとカンボジアの国境紛争は、植民地時代に引かれた曖昧な国境線という歴史的遺産、世界遺産登録をめぐるナショナリズムの衝突、そして両国の複雑な国内政治が絡み合った問題である。
わずか2ヶ月前の和平合意崩壊と空爆実施という事態は、この問題の根深さを改めて示している。ASEAN加盟国同士の武力衝突という事態は、東南アジア地域の安定にとっても深刻な課題を投げかけている。
今後の推移を注視する必要があるが、短期的な停戦にとどまらない、根本的な問題解決への道筋を見出すことができるかが問われている。

