「国旗損壊罪」とは何か―議論の背景、問題点、各国の法制度を徹底解説

制度

2025年10月、自民党と日本維新の会が連立政権合意書に「国旗損壊罪」の制定を明記し、また参政党が刑法改正案を参議院に提出したことで、この問題が再び注目を集めています。「日の丸を傷つける行為を処罰できるようにすべきだ」という主張がある一方で、「表現の自由を脅かす」との懸念も根強くあります。

本記事では、国旗損壊罪をめぐる議論の全体像を、その概要、法的な問題点、諸外国の状況を含めて詳しく解説します。

国旗損壊罪とは何か

国旗損壊罪とは、自国の国旗を損壊、除去、または汚損する行為を刑事罰の対象とする法律です。日本においては、現在このような規定は存在しません。

提案されている法案の内容は、おおむね次のようなものです。「日本国に対して侮辱を加える目的で、日本国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、又は汚損した者は、2年以下の拘禁刑または20万円以下の罰金に処する」というものです。

この法案が提起される背景には、日本の刑法における「ねじれ」があります。

現行法の「ねじれ」―外国国旗は保護、日本国旗は対象外

現在の日本の刑法第92条には「外国国章損壊罪」が規定されています。これは、外国に対して侮辱を加える目的で、その国の国旗その他の国章を損壊、除去、または汚損した場合に、2年以下の拘禁刑または20万円以下の罰金を科すというものです。ただし、この罪は外国政府の請求がなければ公訴を提起することができない「親告罪」となっており、実際の適用例はほとんどありません。

一方で、日本の国旗(日の丸)を損壊する行為については、刑法上の規定がありません。他人の所有物である国旗を壊せば器物損壊罪が成立する可能性はありますが、自分で購入した国旗を損壊しても、それ自体を罰する法律は存在しないのです。

国旗損壊罪の新設を主張する人々は、この状況を「外国の国旗は保護されるのに、自国の国旗は保護されない」という矛盾だと指摘しています。

法案提出の経緯

国旗損壊罪の新設を求める動きは、今回が初めてではありません。

2012年5月、当時野党だった自民党が、国旗損壊罪を新設するための刑法改正案を国会に提出しました。しかし、この法案は審議されることなく廃案となりました。

2021年1月には、自民党の「保守団結の会」に所属する議員らが、再び法案提出を求める動きを見せました。当時、高市早苗議員らが中心となって働きかけを行いましたが、連立を組む公明党の賛同を得られず、法案提出には至りませんでした。

そして2025年10月、状況が大きく動きました。まず自民党と日本維新の会が連立政権合意書に「『日本国国章損壊罪』を制定し『外国国章損壊罪』のみ存在する矛盾を是正する」と明記しました。また参政党が、単独で刑法改正案を参議院に提出しました。高市早苗首相のもと、2026年の通常国会での成立を目指す方針とされています。

提唱者側の主張

国旗損壊罪の新設を主張する側の論点は、主に以下のようなものです。

第一に、外国国旗との均衡です。外国の国旗を損壊すれば処罰されるのに、自国の国旗を損壊しても処罰されないのは不均衡であり、是正すべきだという主張です。

第二に、国家の尊厳の保護です。国旗は国家の象徴であり、その損壊は「国家の存立基盤・国家作用を損なうもの」であるとされます。また、「国旗に対して多くの国民が抱く尊重の念を害するもの」であり、刑罰によって保護すべきだという考え方です。

第三に、諸外国との比較です。フランス、ドイツ、イタリア、韓国、中国など、多くの国が自国国旗の損壊を処罰する規定を持っており、日本も同様の法整備をすべきだという主張です。

反対派・慎重派の主張と問題点

一方で、この法案に対しては、法律の専門家や市民団体から多くの懸念が示されています。

表現の自由への懸念

最も大きな問題点として指摘されるのが、憲法が保障する「表現の自由」との関係です。

日本弁護士連合会は2012年の法案に対して会長声明を発出し、次のように指摘しました。「同法案は、損壊対象の国旗を官公署に掲げられたものに限定していないため、国旗を商業広告やスポーツ応援に利用する行為、あるいは政府に抗議する表現方法として国旗を用いる行為なども処罰の対象に含まれかねず、表現の自由を侵害するおそれがある」

国旗を用いた抗議行動は、世界各地で政治的表現の手段として行われてきました。自国政府の政策に反対する意思を示すために国旗を燃やす行為は、暴力を伴わない「象徴的言論」の一形態とも考えられます。こうした行為を刑罰の対象とすることは、政治的表現を萎縮させる効果を持つ可能性があります。

保護法益の不明確さ

外国国章損壊罪が設けられた理由は、外国を侮辱する行為が国際紛争の火種となり、外交問題に発展する可能性があるからです。つまり、この罪の保護法益は「日本の対外的安全と国際関係的地位」にあるとされています。

これに対し、自国の国旗損壊罪の保護法益は何なのかが明確ではありません。「国家の名誉」や「国民の愛国心」といった概念は抽象的であり、刑法で保護すべき法益として適切かどうか疑問が呈されています。

法律家の間では、「自己所有の国旗を損壊することが、なぜ犯罪として処罰されるべきなのか」という根本的な問いかけがなされています。

「日本を侮辱する目的」の曖昧さ

法案では「日本国に対して侮辱を加える目的で」という要件が付されていますが、この「侮辱」という概念は曖昧であり、恣意的な解釈を許す余地があると指摘されています。

芸術表現において国旗を素材として用いる場合、それが「侮辱」に当たるのかどうか、判断が分かれる可能性があります。2019年の「あいちトリエンナーレ」における展示をめぐる議論でも、国旗の扱いが問題視されたことがありました。国旗損壊罪が新設されれば、こうした傾向がさらに強まることが懸念されています。

刑法の原則として「罪刑法定主義」があり、何が犯罪となるかは法律で明確に定められていなければなりません。「侮辱」のような曖昧な概念を構成要件とすることは、この原則に反する可能性があります。

立法事実の不存在

法律を新たに制定する際には、その必要性を示す「立法事実」が求められます。しかし、日本において自国国旗の損壊行為が多発し、社会問題化しているという事実は見当たりません。

参政党の神谷代表は「参院選で日本国旗にバツを付けて街頭演説を妨害する人がいた」ことを法案提出の理由として挙げていますが、そうした行為が刑罰によって対処すべきほど深刻な問題なのかについては、議論の余地があります。

思想・良心の自由との関係

日の丸は、戦前の植民地主義や戦争動員に利用された歴史があり、これを否定的にとらえる人も存在します。国旗損壊罪の新設により、国旗への敬意を事実上強要することになれば、憲法が保障する「思想・良心の自由」を脅かすことにもなりかねません。

各国の法制度

国旗損壊に関する法制度は、国によって大きく異なります。

アメリカ―表現の自由を優先

アメリカでは、かつて国旗損壊を禁止する州法や連邦法が存在しました。しかし、1989年の「テキサス州対ジョンソン事件」において、連邦最高裁判所は画期的な判決を下しました。

この事件は、共和党全国大会への抗議デモで星条旗を燃やしたグレゴリー・ジョンソンが、テキサス州法違反で有罪とされたものです。連邦最高裁は5対4の評決で、国旗焼却は「象徴的言論」として憲法修正第1条(表現の自由)によって保護されると判断し、テキサス州法を違憲としました。

判決文の中で、ブレナン判事は次のように述べています。「社会がある観念を不快または好ましくないと考えているとの理由で、その観念の表現を禁止することはできない」「国旗の特別な役割を守る方法は、異なる意見を持つ人々を罰することではなく、彼らが間違っていることを説得することである。国旗を焼却することに対する適切な反応として、自らの国旗を振ること以上に適切なものは考えられない」

その後、連邦議会は「国旗保護法」を制定しましたが、翌1990年の「アメリカ合衆国対アイクマン事件」において、最高裁は再びこの連邦法を違憲と判断しました。以来、アメリカでは国旗損壊行為を処罰する法律は事実上無効となっています。

なお、2025年8月にトランプ大統領が国旗焼却禁止の大統領令に署名しましたが、これは最高裁判例との整合性が問題視されており、法的効力については疑問が呈されています。

ドイツ―自国国旗をより重く保護

ドイツ刑法では、自国国旗と外国国旗の両方について損壊罪を規定しています。特徴的なのは、自国国旗の損壊の方がより重い刑罰となっていることです。

自国国旗については、公然と掲揚されたドイツ連邦共和国またはその州の旗を撤去、破壊、損壊、使用不能にした者、または冒涜的な乱暴行為を行った者は、3年以下の自由刑または罰金に処されます。

外国国旗については、2年以下の自由刑または罰金とされており、自国国旗より軽い扱いです。

フランス―公共の場での侮辱行為を処罰

フランスでは、2010年に国旗損壊罪が強化されました。

公共の場で国旗に侮辱行為を行う者、または国旗への侮辱行為を流布・放送する者には、1500ユーロの罰金刑が科されます。公的機関が主催するイベント等における国旗侮辱行為には7500ユーロの罰金刑が、集団で行った場合には6カ月の禁錮刑と7500ユーロの罰金が併科されます。

この法改正のきっかけは、2010年に国旗でお尻を拭く男性の写真が民間の写真コンテストで入賞し、全国紙に掲載されたことでした。

韓国―比較的重い刑罰

韓国刑法では、大韓民国を侮辱する目的で国旗または国章を損傷、除去または汚辱した者は、5年以下の懲役もしくは禁錮、10年以下の資格停止または700万ウォン以下の罰金に処するとされています。

外国国旗についても規定があり、2年以下の懲役もしくは禁錮、または300万ウォン以下の罰金とされています。日本への提案と同様、自国国旗の方が重く保護されています。

中国―厳格な規制

中国刑法では、公開の場所において国旗を故意に侮辱した者には、3年以下の有期懲役が科されます。2020年には「国旗法」が改正され、上下を逆に掲揚するなど国旗の尊厳を損なう形での掲揚・使用の禁止なども定められました。

イギリス、カナダ、オーストラリア―規定なし

一方で、イギリス、カナダ、オーストラリアなどには、国旗損壊を処罰する法律は存在しません。これらの国では、国旗への行為は表現の自由の範囲内として扱われています。

世界の傾向

各国の法制度を比較すると、以下のような傾向が見られます。

「自国国旗のみ」損壊が違法な国が多数派であり、アメリカ(違憲判決により実質無効)、フランス、中国、ロシア、台湾、インドなどが該当します。

自国国旗と外国国旗の「両方とも違法」な国は少数派で、ドイツ、イタリア、韓国、トルコなどです。ほとんどの場合、自国国旗の損壊の方が重く罰せられます。

「外国国旗のみ」の損壊が違法で、自国国旗の損壊は合法という国は、調査の限りでは日本とデンマークのみとされています。

法案成立後に予想される影響

仮に国旗損壊罪が成立した場合、以下のような影響が予想されます。

まず、政治的抗議活動への影響です。政府の政策に反対する意思表示として国旗を用いる行為が萎縮する可能性があります。

次に、芸術表現への影響です。国旗を素材として用いる現代アート作品などが、「侮辱」に当たるかどうかをめぐって紛糾が生じる可能性があります。

また、スポーツ応援や商業利用との関係も問題となり得ます。法案が官公署に掲げられた国旗に限定されていない場合、スポーツ応援で国旗を加工したり、商業広告で国旗をアレンジしたりする行為も処罰対象となる可能性があります。

さらに、恣意的な運用への懸念もあります。「侮辱する目的」という要件の解釈次第で、警察や検察による恣意的な運用が行われる可能性があります。

まとめ

国旗損壊罪をめぐる議論は、「国家の尊厳を守るべきか」「表現の自由を優先すべきか」という価値観の対立を反映しています。

法案推進派は、外国国旗との均衡、国家の尊厳の保護、諸外国との比較などを論拠としています。一方、反対派・慎重派は、表現の自由への影響、保護法益の不明確さ、「侮辱」概念の曖昧さ、立法事実の不存在などを問題視しています。

アメリカ連邦最高裁が示したように、国旗損壊行為を「象徴的言論」として表現の自由の範囲内と捉える考え方は、民主主義社会における重要な視点です。一方で、ドイツやフランスのように、一定の条件のもとで国旗損壊を処罰する法制度を持つ民主主義国家も存在します。

日本において国旗損壊罪を新設すべきかどうかは、最終的には国民的な議論を経て決定されるべき問題です。その際には、憲法が保障する「表現の自由」「思想・良心の自由」との関係を慎重に検討することが不可欠です。

「国を愛する心」は、法律によって強制されるべきものではなく、国民の自由かつ自然な感情によって育まれるべきものでしょう。国旗損壊罪の議論を通じて、「自分にとって国とは何か」「自由とは何か」を一人ひとりが考えるきっかけとなれば、それ自体に意義があるのかもしれません。

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