選挙とお金のルール――SNS広告費の「抜け穴」と公職選挙法が定める費用規制の全体像

制度

2026年2月8日に投開票された第51回衆議院議員総選挙では、自民党が316議席を獲得する歴史的圧勝を果たした。この選挙戦で注目されたのが、自民党がYouTubeに投稿した高市早苗首相のメッセージ動画だ。再生回数は1億回を超え、政治関連動画としては異例の数字となった。X(旧Twitter)などでも広告として配信されていたことから、「広告費にいくら使ったのか」という疑問の声が上がっている。

この問題の背景には、インターネット広告に関する公職選挙法の規定が、現在のSNS環境に十分に対応できていないという構造的な課題がある。本記事では、今回のSNS広告問題を入口として、選挙にまつわる費用のルール全体を整理し、何が規制されていて何が規制されていないのかを解説する。

SNS広告費は本当に「規制の空白地帯」なのか

まず押さえておきたいのは、公職選挙法における「選挙運動」と「政治活動」の区別だ。選挙運動とは、特定の選挙において特定の候補者の当選を図る目的で投票を呼びかける行為を指す。一方、政治活動はより広い概念で、政治上の目的をもって行われる一切の活動から選挙運動を除いたものとされている。

2013年の公職選挙法改正でインターネットを利用した選挙運動が解禁されたが、有料インターネット広告については原則として禁止が維持された(第142条の6)。ただし、政党等については例外が認められており、選挙運動期間中であっても、政党の選挙運動用ウェブサイト等に直接リンクする政治活動用の有料広告を掲載することが可能とされている。

ここで重要なのは「公示前」と「公示後」の違いだ。公示前の段階は法律上「選挙運動期間」ではないため、政党が政治活動として動画広告やバナー広告を配信すること自体には、公職選挙法上の直接的な制限がほとんど存在しない。今回の高市首相のメッセージ動画が公示前に投稿されたものであることを考えると、法的には問題がないと解釈される可能性が高い。

しかし、法的に問題がないことと、民主主義の健全性の観点から問題がないことは別の話だ。巨額の広告費を投入できる政党とそうでない政党の間で、有権者へのリーチに大きな格差が生まれる可能性がある。これはまさに、公職選挙法が本来目指していた「お金のかからない選挙」「候補者間の機会均等」という理念に反する事態ではないかという指摘がなされている。

公職選挙法が定める選挙費用の基本ルール

選挙に関する費用のルールを正しく理解するためには、公職選挙法が設けている複数の規制の枠組みを知る必要がある。大きく分けると、「法定選挙費用(選挙運動費用の上限)」「選挙公営制度(公費負担)」「収支報告の義務」の三つの柱がある。

法定選挙費用――超えてはならない支出の上限

公職選挙法は、選挙運動に関する支出について上限額を定めている。これが「法定選挙費用」と呼ばれるものだ。

衆議院小選挙区選出議員の選挙の場合、有権者数に人数割額(15円)を乗じた額に固定額1,910万円を合算して算出する。参議院比例代表選出議員の選挙では5,200万円の固定額が定められている。支出がこの制限額を超えた場合、出納責任者に罰則が適用され、その刑が確定すれば連座制により候補者本人の当選も無効となる。

ただし、ここには大きな注意点がある。法定選挙費用はあくまで「選挙運動期間中」の費用に限定されるという点だ。公示前に行われる政治活動や後援会活動にかかる費用は、この上限の対象外となる。つまり、選挙前の準備段階でどれだけ資金を投入しても、それは法定選挙費用には含まれないのだ。

選挙公営制度――税金で負担される費用

選挙公営制度は、資産の多寡にかかわらず立候補や選挙運動の機会を平等に保障するために設けられた仕組みだ。国や地方公共団体が候補者の選挙運動費用の一部を公費で負担する。

国政選挙で公費負担の対象となる主な費用は以下のとおりだ。選挙運動用自動車の使用(レンタカー代、燃料代、運転手の報酬)、選挙運動用ビラの作成、選挙運動用ポスターの作成、政見放送、選挙公報の発行、通常はがきの交付などがある。いずれも限度額や法定枚数が定められており、それを超えた分は候補者の自己負担となる。

なお、供託物が没収される(一定の得票数に達しない)場合には、公費負担を受けることができない。これは、一定以上の支持を得られない候補者が公費を使うことを防ぐ趣旨だ。

収支報告書――透明性の確保

選挙運動にかかった収入と支出は、選挙運動費用収支報告書として選挙管理委員会に届け出なければならない。この報告書は公開されるため、誰でも閲覧が可能だ。

収支報告書に記載すべき支出には、人件費、家屋費(事務所賃料など)、通信費、交通費、印刷費、広告費、文具費、食糧費、休泊費、雑費などがある。選挙の透明性を確保するうえで極めて重要な制度だが、先述のとおり選挙運動期間外の政治活動費はこの報告書の対象にならない点が課題として残る。

選挙運動で「やっていいこと」と「やってはいけないこと」

選挙費用のルールと並んで重要なのが、選挙運動の手段に関する規制だ。公職選挙法は「べからず法」とも呼ばれるほど多くの禁止事項を定めている。

まず、買収・供応は最も重大な選挙違反だ。有権者に金品を渡したり、飲食の接待をしたりして投票を依頼する行為は厳しく罰せられる。選挙運動員への報酬についても、法律で認められた範囲(車上運動員やうぐいす嬢への日当上限など)を超えてはならない。

戸別訪問の禁止も日本の選挙法の特徴的な規制だ。候補者や運動員が有権者の自宅を一軒一軒訪ねて投票を依頼する行為は禁止されている。この規制についてはかねてから「先進国では異例」という批判もあるが、現行法では維持されている。

選挙運動用の文書図画(ポスター、ビラなど)については、種類ごとに枚数や規格が細かく定められている。2025年5月施行の改正公職選挙法では、公設掲示板に張るポスターに「品位」を求める規定が新設された。これは2024年の東京都知事選で、選挙と無関係な内容や営利目的のポスターが掲示された問題を受けてのものだ。

インターネット選挙運動の現行ルールと限界

2013年に解禁されたインターネット選挙運動のルールを改めて整理しておこう。

ウェブサイト等を利用する方法(ホームページ、ブログ、SNS、動画共有サービスなど)による選挙運動は、何人もこれを行うことができる。ただし、電子メールを利用した選挙運動は候補者と政党等にのみ認められており、一般有権者はできない(SNSのメッセージ機能はウェブサイトの扱いのため可能)。

有料インターネット広告については、選挙運動のためのものは原則禁止だ。政党等に限り、自身の選挙運動用ウェブサイトに直接リンクする形での有料広告が認められている。候補者個人が有料のネット広告を出すことは違法であり、違反すれば2年以下の禁錮または50万円以下の罰金に処せられる。

この規制の「抜け穴」として指摘されているのが、政党支部長の問題だ。政党支部長を兼ねる候補者は多いが、支部長としてであれば名前や顔写真を使った広告掲載が可能となるため、実質的に候補者個人の選挙運動と区別がつかないケースが生じ得る。

そして今回の衆院選で顕在化した最大の課題が、選挙運動期間前のSNS広告費に実質的な規制がないという点だ。政党が公示前に巨額のSNS広告費を投入しても、それは「政治活動」であるため法定選挙費用にも算入されないし、選挙運動費用収支報告書にも記載されない。

政治資金とSNS広告の不透明な関係

SNS広告費の問題は、より広い「政治とカネ」の文脈でも捉える必要がある。

政党には政党交付金(政党助成金)が国から交付されている。2026年の時事通信の試算によれば、今回の衆院選での大勝を受けて自民党への交付金は153億円に上る見込みだ。政党交付金の使途は政党交付金使途報告書で公開されるが、その内訳の記載には一定の裁量があり、具体的にどのSNS広告にいくら使ったかまでは追跡が困難な場合がある。

また、過去にはSNSを使った政治的な情報発信と政治資金の関係が問題になった事例もある。匿名のX(旧Twitter)アカウント「Dappi」が野党への誹謗中傷を繰り返していた件では、運営元のIT企業が自民党と取引関係にあったことが判明し、政治資金を使ったSNS上の世論操作ではないかとの疑惑が浮上した。裁判所は投稿が会社の業務として行われたことを認定したが、自民党の直接的な関与については解明されないままとなっている。

こうした事例は、政治資金がSNS上の情報戦にどのように使われているかについて、透明性が著しく欠如していることを示している。

今後求められる制度改革

選挙におけるSNS利用のルール整備は、与野党ともに課題として認識している。自民党の選挙制度調査会と情報通信戦略調査会は合同会議を重ね、SNSの偽情報対策や選挙ビジネスへの対応について論点整理を進めてきた。

具体的に議論されている論点としては、SNS事業者に対する自主規制の要請(選挙関連の偽情報投稿に対する収益の支払い停止など)、アカウントの本人確認の強化、選挙期間中の違反行為に対する警告や罰則の仕組みの整備などがある。2025年5月施行の改正公職選挙法の付則には、SNSに関する対応策を引き続き検討する旨が明記された。

しかし、SNS広告費そのものに対する上限規制や透明性確保の議論は、まだ本格的には始まっていない。憲法が保障する「表現の自由」との両立というハードルもあり、実効性のある規制を設けるまでには相当の時間がかかるとみられている。

諸外国では、たとえば選挙に関するオンライン広告の出稿者情報と支出額の開示を義務付けるといった取り組みが進んでいる。日本でも、少なくとも政党がSNS広告にいくら支出したかを有権者が知ることができる仕組みは、早急に整備される必要があるのではないだろうか。

選挙は民主主義の根幹である。お金の力によって選挙結果が左右されることのないよう、時代に即したルール作りが求められている。法律上「問題がない」からといって、それが民主主義にとって望ましい状態かどうかは、私たち有権者一人ひとりが考えるべき問いだろう。

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