序章:「なぜ君は総理大臣になれないのか」——その男が今、中道改革連合の代表に
2026年2月13日、東京・永田町の中道改革連合本部。投開票の結果、小川淳也氏(54)が新代表に選出された。「国民生活の安定と将来への見通しをしっかりと提起し、今の安心、将来への希望を提供することが最大の目標だ」と語る小川氏の表情は、決意と覚悟に満ちていた。
2020年に公開されたドキュメンタリー映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』で全国的に知られるようになったこの政治家は、地盤・看板・カバンを持たない「美容院のせがれ」として、17年間愚直に政治に向き合い続けてきた。そして今、衆院選惨敗で瓦解寸前の野党第一党を率いる立場に立った。
今回は、「修行僧」とも呼ばれるこの異色の政治家の全貌に迫る。華麗な経歴の裏にある苦悩、家族との葛藤、そして彼が描く日本の未来像まで、余すところなくお伝えしよう。
第1章:美容院のせがれから東大・官僚へ
高松のパーマ屋に生まれて
1971年、香川県高松市松並町。両親が営む美容室の長男として生まれた小川淳也。「パーマ屋のせがれ」という出自は、後の政治活動における最大のハンディキャップとなる。世襲議員が圧倒的に有利な日本の政治世界において、彼にはいわゆる「地盤・看板・カバン」が何一つなかったのだ。
高松市立一宮小学校に入学、円座小学校を卒業後、香東中学校を経て、香川県立高松高等学校へ進学。地元では進学校として知られる高松高校から1994年に東京大学法学部を卒業。在学中は港区三田にある香川県の県人寮・香川育英会東京学生寮から通学していた。
東大法学部卒業という華々しい経歴だが、小川自身は決して「神童」タイプではなかったという。むしろ愚直に、地道に努力を重ねるタイプだった。その姿勢は後の政治家としての活動にも色濃く反映されることになる。
「異文化圏に行きたい」——沖縄への赴任
1994年4月、自治省(現・総務省)に入省。入省同期には重徳和彦(後に同じく国会議員となる)がいた。当時は入省すると最初の赴任先は希望が出せた。小川は「異文化圏に行きたい」「東京から一番遠い場所に行きたい」との思いから沖縄を志望した。
政局調整室での3か月の見習い期間を経たのち、沖縄県庁に赴任。これを機に、高校時代の同級生で幼稚園の教諭をしていた女性と結婚。新婚生活は沖縄でスタートした。
1995年9月、沖縄で米兵少女暴行事件が発生。10月21日に宜野湾市で開かれた、事件に抗議する県民総決起大会に小川は妻と参加。この経験が、後の政治家としての基盤を形成する重要な原体験となった。官僚として「現場」を知ることの重要性を、この沖縄時代に学んだのである。
その後、自治体国際化協会ロンドン事務所、愛知県春日井市役所企画調整部長(当時29歳で部長職という異例の若さ)、総務省大臣官房秘書課課長補佐などを歴任。わずか3年で係長になり、国家公務員総合職としては超エリートコースを歩んでいた。
第2章:官僚から政治家へ、「地盤・看板・カバン」なしの挑戦
理想と現実のギャップ
順風満帆に見えた官僚人生。しかし小川は次第に、官僚が組織を牛耳る行政組織の構造に疑問を抱くようになる。「ただ社会を良くしたい」という思いがあっても、官僚という立場では限界があった。
小川の口から出た言葉は明快だった。「官僚では社会を変えられない」。政治が最後を決めている、だから政治家を志したという。エリート官僚として出世する道を捨て、家族の猛反対を押し切って政治の世界に飛び込む決断をした。
2003年7月3日、総務省を退職。わずか9年間の官僚生活だった。翌7月4日、民主党香川県連は次期衆院選の香川1区に小川を擁立すると発表した。
2003年初出馬、そして敗北
2003年11月9日、第43回衆議院議員総選挙。時は小泉純一郎政権下。32歳の小川淳也は香川1区から民主党公認で立候補した。対する自由民主党の平井卓也は、地元有力メディアである四国新聞及び西日本放送のオーナー一族出身。祖父も父親も大臣経験者という「ザ・世襲議員」だった。
初出馬の小川にカメラを向けた映画監督・大島新に、小川はこう語った。「国民のためという思いなら誰にも負けない自信がある」。その真っすぐな瞳に、大島は強く惹かれたという。
しかし選挙は非情だった。平井卓也、社民党公認で元職の加藤繁秋、日本共産党新人、無所属新人など4候補を相手に戦い、次点で落選。比例復活もかなわなかった。
「政治家を笑っているうちはこの国は絶対に変わらない」——敗北した夜、小川は自らに言い聞かせるようにそう呟いた。
第3章:17年間の政治遍歴と「修行僧」の日々
比例復活という苦い勝利
2005年の第44回衆議院議員総選挙。再び香川1区から立候補し、再度、平井に敗れた。しかし今回は重複立候補していた比例四国ブロックで復活し、初当選を果たす。
これが、小川淳也の17年にわたる「比例復活人生」の始まりだった。小選挙区で勝てず、比例で這い上がる。その繰り返しが、彼の政治家としての発言権を大きく制限することになる。
永田町では「修行僧」と呼ぶ者もいた。その純粋さ、誠実さゆえに変わり者扱いされ、党内での出世からは遠ざかっていった。
政権交代の夢と挫折
2009年、歴史的な政権交代。民主党が第一党となり、小川は総務大臣政務官に就任。この時、小川は目を輝かせて語った。「日本の政治は変わります。自分たちが変えます」
リベラル・保守双方の論客から、見どころのある若手政治家と期待されていた小川。しかし、いくら気高い政治思想があっても、党利党益に貢献しないと出世できず、選挙区当選でなければ発言権も弱いという現実が立ちはだかった。
小川自身が大島監督に漏らした言葉が印象的だ。「精神生活は8割が我慢で1割が忍耐、残りの1割は辛抱」。政治家として本当にやりたいことの前に、党利党略のために時間と労力を費やさねばならない現状への忸怩たる思いが滲んでいた。
希望の党騒動という最大の試練
2017年9月、民進党代表の前原誠司は希望の党への合流を決定。小川は前原の最側近として、この大混乱の渦中に立たされることになる。
小池百合子代表への不信感から無所属での出馬も考えた小川。しかし、前原や地元の盟友・玉木雄一郎への仁義というジレンマに悩まされた。選挙カー車内での大島監督との会話で、小川は重い沈黙を交えながら、徐々に心情を吐露していく。その嘆きは、おそらく政治家が公に漏らすべきではない、明らかな失言レベルの内容だった。
最終的に小川は希望の党から出馬。共産党は小選挙区導入以来初めて、候補者擁立を見送り、事実上の小川支援を行った。結果は小選挙区で平井に僅差で敗北、比例復活で当選。またしても「比例当選」という苦い勝利だった。
第4章:ドキュメンタリー映画が映し出した「素顔」
17年を追い続けた大島新監督
映画監督・大島新(大島渚の息子)。小川の妻・明子と高松高校で同級生だったのが、大島の妻だった。2003年10月、大島の妻は大島にこう言った。「小川くんっていう、野球部で、めちゃくちゃ勉強ができてさわやかな好青年が、東大を出て官僚やっとんたやけど、あっちゃん(明子)の猛反対を押し切って出馬するんやって」
「無謀だ」と思った大島は小川に興味を抱き、企画を通さずに選挙戦の取材を開始。そこから17年間、大島は小川を撮り続けた。
2016年、大島は映画監督の園子温を撮った『園子温という生きもの』を公開したが興行的には失敗。その後、2018年の食事会で政治ジャーナリストの田﨑史郎と小川が並んだ席で、大島は決意を新たにする。
「なんで、小川さんみたいな誠実で優秀な人が、自民党の議員ではないというだけで、あんなわけのわからない2回生たちよりも格付けが下なのだろう」——憤りを感じた大島は翌日、小川を中心に据えたドキュメンタリー映画の企画書を一気に書き上げた。「なぜ君は総理大臣になれないのか」というタイトルもそのときに生まれた。
3万5千人が観た「愚直な政治家」の記録
2020年6月13日、都内の映画館2館で上映を開始。初日から6日間連続で満席を記録した。映画の評判が口コミ等で広がり、1カ月経たずして動員1万人を突破。最終的には全国83館にまで上映映画館を広げ、半年以上のロングラン上映となった。
観客動員数はドキュメンタリー映画としては異例の3万5千人超を記録。第94回キネマ旬報ベスト・テンで文化映画第1位を受賞し、NetflixやAmazonプライムビデオでも配信され、今なお広がり続けている。
「右手には花束を、左手にはナイフを持つ気持ちで取材対象に挑む」という大島監督が、被写体である小川にカメラを向けながら、ことあるごとに自らの思いを率直にぶつけていく。「今回の決断は間違っていたんじゃないか」「(民進党は)政権とる気あるのか」「あなたは政治家に向いていないんじゃないか」——柔らかい物腰とは裏腹に舌鋒鋭く議員を追い詰める。
家族の涙と葛藤
映画の中で最も印象的なのが、家族の姿だ。妻・明子は初出馬時から一貫して反対していた。「パーマ屋のせがれが政治家になんかなれるわけない」「家族を巻き込むな」——その言葉は正直で、切実だった。
しかし選挙が近づくと、妻も二人の娘も家族総出で応援に回る。自転車に「本人」の幟を付けて闘う小川の姿を、家族は見守り続けた。
2017年の総選挙で小選挙区敗北が確定した深夜、選挙事務所で後援会の人々が静かに涙を流す場面がある。小川の父親が息子について語った言葉が忘れられない。「息子は政治家に向いていないと思うが、もし日本を変えられる政治家がいるとすれば、それは息子ではないかと思う」
親心が溢れる、泣ける場面だった。
第5章:人物像とユニークなエピソード
「政治家に向いていない」と言われ続けた男
「地盤・看板・カバン」なし、比例復活を繰り返し、権力への欲望が足りない——家族からも「政治家に向いていないのでは」と言われてきた小川淳也。
しかし、その「向いていなさ」こそが、彼の最大の魅力でもある。永田町の常識に染まらず、理想を掲げ続ける姿勢。党利党略よりも国民のためという思いを優先する姿勢。それは確かに、永田町では「変わり者」だった。
大島監督との会話で、小川は安倍晋三元総理についてこう評した。「国民のことは何も考えていないし、多分、特にやりたいこともないのだろう」。憲法を変えたいのかもしれないが、それは国民生活には無関係のことだと一刀両断した。
こうした率直さが、彼を「政治家らしくない政治家」にしている。
香川1区という鉄壁の要塞
小川にとって最大の不運は、選挙区が香川1区だったことかもしれない。対抗馬の平井卓也(65歳)は、四国新聞及び西日本放送のオーナー一族で、祖父も父親も大臣経験者。2020年9月には菅義偉政権で「デジタル改革担当大臣」に就任し、保守地盤である香川の有権者にとって「大臣」の名は絶大だった。
小選挙区では平井に負け続けて、比例で復活当選を繰り返す。この構図が17年間続いた。まさに「鉄壁の要塞」を相手に戦い続ける宿命を背負っていたのだ。
地元の盟友・玉木雄一郎との関係
自他ともに認める保守王国四国に、2人の非自民党国会議員がいる。香川1区の小川淳也と香川2区の玉木雄一郎(国民民主党代表)だ。二人は地元の盟友として、互いに尊重し合う関係を築いてきた。
2017年の希望の党騒動では、玉木への「仁義」が小川の判断を大きく左右した。地元で共に闘ってきた仲間への思いが、政治的判断にも影響を与える——それもまた、小川らしさだった。
第6章:小川流政策論「持続可能でフラットな社会」を目指して
人口問題こそ最大の課題
小川は早くから、人口問題が日本に突きつけられた最大の課題と考え、持続可能でフラットな社会づくりを訴え続けてきた。
2014年に光文社より刊行した著書『日本改革原案 2050年 成熟国家への道』(2023年に河出書房新社より増補・全面改訂版『日本改革原案2050 競争力ある福祉国家へ』として復刊)では、北欧型の福祉国家モデルを参考にしながら、日本独自の「成熟国家」への道筋を示している。
北欧で聞いた「税金も保険料も高いが、きちんと私たちのために使われているから不満ではない」「この国では政治家が汚職をするなんて信じられない」という言葉を紹介し、本来政治家は決してダーティーな職業ではなく、クリーンで市民のために活動すべきだという理念を掲げている。
「51が49を背負う」民主主義観
小川の語る民主主義観で最も印象的なのが、「政治はただの多数決ではなく、51:49で勝った51が、49の意見もちゃんと考えることなんだ」という言葉だ。
この言葉は、映画の中でも繰り返し語られ、多くの観客の心に残った。民主主義の本質が、勝った51が負けた49を背負っていくことにあるという思想。それは、小選挙区で負け続けてきた小川だからこそ、実感を持って語れる言葉だった。
第7章:2026年、中道改革連合代表への就任
衆院選惨敗からの再建という重責
2026年2月8日の第51回衆議院議員総選挙で、中道改革連合(立憲民主党と公明党が合流)は歴史的惨敗を喫した。自民党の圧勝、中道の解体的出直しという状況の中、野田佳彦、斉藤鉄夫両共同代表が辞任。
2月13日の代表選で、小川淳也(54歳)は階猛(59歳)を27票対22票で破り、新代表に選出された。党所属国会議員49人(立憲出身21人、公明党出身28人)という、これまでにない複雑な党内構成を率いることになった。
「国民生活の安定と将来への見通しをしっかりと提起し、今の安心、将来への希望を提供することが最大の目標だ」と語る小川。立憲と公明の融和、両党に残ったままの参院議員や地方組織の中道への合流、2027年春の統一地方選挙への対応など課題は山積している。
テレビ朝日『報道ステーション』の大越健介キャスターは、「解党的出直しというよりも、ほとんど更地からの出直しに」と評した。まさに、小川にとって最大の試練が始まったのだ。
憲法改正への現実的スタンス
代表選に先立つ記者会見で、小川は憲法改正についての考えを問われた。「とにかく憲法に手をつけたいという観念的な改憲論にはくみしない」としたうえで、「憲法改正の必要性があれば、拒むものではない。自衛隊の明記はあり得ることだと思っているが、戦後80年、冷静に議論のテーブルにのりにくかったテーマだ」と語った。
この発言は、小川の現実主義的な側面を示している。イデオロギーではなく、実際に必要かどうかで判断する姿勢。それは官僚出身らしい、実務的なアプローチだった。
終章:小川淳也という希望と絶望
17年間、愚直に政治に向き合い続けてきた男が、今、野党第一党のトップに立った。「地盤・看板・カバン」なしで、比例復活を繰り返してきた男が、である。
これは希望なのか、それとも絶望なのか。
映画のタイトルは問いかける。「なぜ君は総理大臣になれないのか」——しかしこの問いは、言い換えれば「なぜ我々有権者は彼のような人物を総理大臣にすることができないのか」という問いでもある。
小川自身は語っている。「自分が正しい事をできれば、総理大臣になれるかなれないかは関係ない」と。しかし、大島監督は、そして多くの支持者は思う。この国をよくするために、小川淳也に総理大臣になってほしい、と。
18日に召集される特別国会で、高市早苗政権と対峙する野党第1党としての存在感を示せるのか。立憲と公明という水と油の融合を成し遂げられるのか。そして、小川淳也は本当に総理大臣になれるのか——。
「精神生活は8割が我慢で1割が忍耐、残りの1割は辛抱」と語った男の新たな挑戦が、今始まった。その行方を、私たちは見守り続けるしかない。
