国会中継を見ていて、「うるさくて演説が聞こえない」と感じたことはないだろうか。2025年10月の高市早苗首相の所信表明演説では、野党議員からのヤジがSNS上で大きな物議を醸し、「ヤジ議員」がXのトレンド入りする事態となった。しかし、国会でのヤジを擁護する声として必ず出てくるのが「ヤジは国会の華」という言葉だ。この言葉は一体どこから生まれ、本当に「華」と言えるのだろうか。
「ヤジは国会の華」の起源と歴史
「ヤジは議場の華」「ヤジは国会の華」という表現は、議会における絶妙なヤジが議論を活性化させるという考えから生まれた言い回しである。この言葉が指す「華」とは、本来、言論を生業とする政治家ならではの機知に富んだ発言のことを意味している。
その代表例として語り継がれるのが、1920年(大正9年)の帝国議会でのエピソードだ。原敬内閣の大蔵大臣・高橋是清が海軍予算を説明中、「陸軍は十年、海軍は八年の…」と言いかけた瞬間、三木武吉が「だるまは九年!」とヤジを飛ばした。これは高橋是清のあだ名「だるま」と、達磨大師が九年間座禅して悟りを開いたという故事をかけた機知に富んだもので、議場は爆笑に包まれた。普段は謹厳な加藤高明や濱口雄幸までが議席で笑い声を上げたという。三木武吉は「ヤジ将軍」「ヤジの神」との異名を取り、その後自民党結党の立役者となった人物である。
このように、かつての「議場の華」とは、相手の発言を完全に遮るものではなく、発言の合間を縫って放たれる「寸鉄人を刺す」ような鋭い一言であった。
ヤジの法的位置づけと国会のルール
国会でのヤジは「不規則発言」として扱われ、原則として議事録には記載されない。衆議院規則216条には「議事中は濫りに発言し又は騒いで他人の演説を妨げてはならない」と明記されており、ヤジそのものは本来推奨されていない行為だ。
しかし、ヤジ自体は違法ではない。国会議員が国会で発言することは憲法上の表現の自由として保護されている。ただし、度を越したヤジは議会の品位を損なうとして懲罰の対象となる可能性がある。国会法121条では、院内の秩序を乱す行為を行った議員への懲罰を定めており、処分には戒告、陳謝、登院停止、除名などがある。
政府の公式見解としては、2021年にヤジ禁止に関する質問主意書が提出された際、政府は「国会の両議院の院内における発言の在り方については、国会の運営に関することであり、政府としてお答えする立場にない」と回答し、基本的に国会の自主運営に委ねる姿勢を示している。
各党・各議員の立場と見解
ヤジ擁護派の主張
ヤジを擁護する立場からは、いくつかの論拠が示されている。2025年10月のヤジ騒動の際、立憲民主党の小西洋之議員は「ヤジは非常に重要な国会議員の議会活動」との見解を示し、演説原稿は事前に配布されるため「人の話を聞いていない」わけではないと主張した。彼によれば、総理を監視監督するのが国会議員の仕事であり、黙って聞くことは政策を容認することになるという論理である。
また、「ヤジ将軍」として知られた自民党のベテラン・鈴木宗男議員は、ヤジには一定の意義があると認めつつも、「相手の話を遮らないこと」「プライバシーや身体にかかわるヤジを言わないこと」という作法を守っていたと述べている。彼の持論では、「居眠りしていたらヤジなんてできない」——つまり、ヤジとは真剣に議論を聞いている証拠でもあるというのだ。
ヤジ批判派・自制を求める声
一方で、ヤジに批判的な意見も根強い。2013年には衆議院予算委員会で、かつてお笑いタレントとして活躍した東国原英夫議員が「国会はヤジがうるさい。ヤジをやめるというのを議論しませんか、総理」と提起したことがある。これに対し当時の安倍首相は「ヤジにもいろいろありまして、議場の華とも言われる」と擁護したが、その安倍首相自身も後に予算委員会で「日教組!」と唐突にヤジを飛ばし、委員長から注意を受け謝罪するという一幕があった。
2025年10月の所信表明演説でのヤジに対しては、立憲民主党の野田佳彦代表も「新首相が誕生して所信表明の出だしでどういう話をするのか、まずはしっかりと受け止めるというところから始めなければいけなかった」として、党内議員を注意したことを明らかにしている。
日本維新の会の吉村洋文代表は「あのやじが仕事になる。国会議員の定数大幅削減だよ」と批判し、ヤジが国会議員の職務として正当化されることへの疑問を呈した。
海外の議会ではどうなっているのか
世界を見渡せば、議会でのヤジは日本特有の現象ではない。しかし、その扱い方や文化には国ごとに大きな違いがある。
イギリス
議会制民主主義の母国であるイギリスでは、庶民院(下院)でのヤジは伝統的に活発だ。しかし興味深いことに、イギリス議会では拍手やブーイングが原則として禁止されており、賛意を示す際は「Hear, hear(ヒヤヒヤ)」という独特の掛け声を用いる。
名物となっているのが、下院議長によるヤジへの対処だ。元議長のジョン・バーコウ氏は、ヤジで議会が荒れた際に「今日も明日もいつでもいつでも、野次に意味はない」と諫めた後、「あなたたちは野次が下手だ」と皮肉を効かせて静めるなど、独特の言い回しで知られた。また、ヤジを飛ばした議員に対して「あなたはかつて法廷弁護士でしたよね。法廷でそんな風に着席したまま叫ぶなんて許されませんよね」と、プライドを折るような諫め方をすることもあった。
ドイツ
ドイツ連邦議会の特徴は、議事録の透明性にある。ドイツでは議事録に「笑い声」(Heiterkeit)も記載され、拍手した党名やヤジの内容、その議員名と党名まで詳細に記録される。「全く正しい」「だが一体どうやってそれをやるのか」といったヤジも議事録に残り、丁々発止のやり取りが公式記録として残されるシステムだ。
憲法学者の水島朝穂・早稲田大学教授によれば、ドイツにも「ヤジ将軍」と呼ばれる議員は存在するが、「それでもナンセンスだ」といった政策の中身に踏み込んだヤジが中心であり、日本の国会のような低レベルなヤジとは質が異なるという指摘もある。
アメリカ
アメリカ議会でのヤジは比較的珍しく、発生した場合は厳しい処分を受けることもある。2009年、オバマ大統領が議会上下両院合同会議で医療保険改革について演説中、共和党のジョー・ウィルソン議員が「嘘つき!」とヤジを飛ばした際には、下院は譴責決議を賛成240、反対179で採択した。
国民はヤジをどう見ているか
SNS時代に入り、国会でのヤジに対する国民の視線は格段に厳しくなっている。かつては国会中継を見る人が限られていたが、現在ではYouTubeやニコニコ動画で誰でもリアルタイム視聴が可能となり、問題場面は即座に切り抜き動画として拡散される。
2025年10月の所信表明演説でのヤジ騒動では、SNS上で「ヤジ議員」がトレンド入りし、「黙って聞けや」「日本の恥」「人の話を聞けない国会議員要らん」「国民の聞く権利の侵害」といった批判が殺到した。わずか数時間でヤジを飛ばした議員が映像分析により「特定」される事態となり、後日、ヤジを飛ばしたとされる立憲民主党の水沼秀幸議員は「礼節を欠いていました」と謝罪するに至った。
言論NPOの世論調査によれば、「政党」や「国会」を「信頼できない」と回答する国民は6割を超えており、国会の品位を損なう行為への視線は年々厳しさを増している。特に若年層ほどヤジに否定的な傾向があり、「子どもたちの手本となる姿勢」を求める声も多い。
一方で、擁護派の議員が主張するように、「演説原稿は事前配布されている」という事実を踏まえれば、議員が「話を聞いていない」わけではないという反論も成り立つ。しかし、国民にとって所信表明演説を聞くのはリアルタイムであり、「国民の聞く権利」という新たな視点が重要性を増しているのも事実である。
「華」なのか「騒音」なのか——求められる議論の質
では、ヤジは「議場の華」なのか、それとも単なる「騒音」なのか。
かつての浜田幸一議員(ハマコー)は「ヤジにも流儀がある」と述べ、「ヤジっていうのは『間』をきちっと守って、相手の心臓をバサッと切る。そういうもんだよ。今のヤジなんて『騒いでいる』だけ」と苦言を呈していた。この発言は2010年のものだが、当時から見ても国会のヤジのレベル低下が指摘されていたのだ。
拓殖大学の丹羽文生助教は、議場を一瞬でピリッとさせる「寸鉄人を刺すようなセンスのいい野次」と、単なる「雑音」「騒音」「怒声」「罵声」を区別すべきだと指摘する。三木武吉の「だるまは九年!」のような機知に富んだヤジは確かに「議場の華」と呼ぶにふさわしいが、相手の演説を聞き取れなくするような集団でのシュプレヒコールは、もはや「ヤジ」ではなく「妨害」に分類されるべきだろう。
おわりに
「ヤジは国会の華」という言葉は、本来、議論を活性化させる機知に富んだ一言を指していた。しかし現代において、その意味は大きく変質しつつある。
SNS時代の国会は、もはや議場内だけの閉じた空間ではない。国民がリアルタイムで視聴し、品位を問う時代において、「議場の華」という伝統的な言い訳は通用しにくくなっている。ドイツのようにヤジを議事録に明記して透明化する方法、イギリスのように議長が皮肉を込めて品位を保たせる方法など、参考にすべき事例は海外にも存在する。
国会は国権の最高機関であり、そこでの振る舞いは民主主義の質そのものを表している。「人の話をまず聞く」という当たり前の姿勢が、国会議員にこそ求められているのではないだろうか。ヤジを完全に禁止すべきかどうかは議論が分かれるところだが、少なくとも「華」と呼ばれるにふさわしい品格と知性が伴わなければ、それは単なる「雑音」に過ぎないのである。

