2025年11月19日、中国政府が日本産水産物の輸入を事実上停止する措置を講じたことが明らかになった。わずか2週間前の11月上旬に約2年ぶりに再開されたばかりの北海道産ホタテの対中輸出が、再び暗礁に乗り上げた。表向きの理由は「福島第一原発の処理水に関するモニタリングが必要」というものだが、実質的には高市早苗首相の台湾有事に関する国会答弁への対抗措置とみられている。日本の水産業界、特にホタテ生産者は再び「外交カード」として翻弄される事態に直面している。
事態の経緯――わずか2週間での急転直下
2023年8月:全面禁輸の開始
事の発端は2023年8月、東京電力福島第一原子力発電所の処理水海洋放出に対して、中国が「核汚染水」として強く反発し、日本産水産物の全面輸入停止措置を取ったことにある。この措置により、北海道だけで約450億円分のホタテが行き場を失い、国内卸売価格は約3割下落した。
2025年6月:一部輸入再開の発表
日中両国は2025年に入り、水産物輸出関連施設の再登録手続きを進めることで合意。6月には福島や東京など10都県を除く37道府県の水産物について輸入再開を発表した。これは日本の水産業界にとって大きな希望となった。
2025年11月上旬:ホタテ輸出の再開
そして11月上旬、ついに北海道産冷凍ホタテの中国向け輸出が再開された。禁輸前には年間200トンもの冷凍ホタテを中国に輸出していた紋別市の「丸ウロコ三和水産」をはじめ、多くの業者が施設の再登録申請を行い、許可を待っていた。
2025年11月7日:高市首相の台湾有事答弁
状況を一変させたのは、11月7日の衆議院予算委員会での高市首相の答弁だった。立憲民主党・岡田克也議員からの質問に対し、高市首相は「中国が戦艦を使って武力の行使も伴うものであれば、存立危機事態になりうるケースだと考える」と発言。台湾海峡情勢において中国の武力行使があれば、日本が集団的自衛権を行使できる「存立危機事態」に該当する可能性があることを明言した。
2025年11月14日以降:中国の圧力強化
この発言を受け、中国は即座に反応した。11月14日、中国外務省は国民に対し日本への渡航自粛を要請。中国国営放送と関係があるSNSアカウント「玉淵譚天」は、貿易制限などを報復手段として示唆した。さらに、中国大阪総領事の薛剣氏がX(旧Twitter)上で「その汚い首は一瞬の躊躇もなく斬ってやるしかない」と極めて不適切な投稿を行い、日中間の外交問題に発展した。
2025年11月19日:輸入停止の通達
そして11月19日朝、中国政府は正式な外交ルートを通じて日本政府に対し、水産物の輸入を停止すると伝達した。農林水産省によると、中国側からは「放射線検査に不足がある」との説明があったという。具体的には、日本の輸出関連施設の再登録申請の受け付けを停止する意向が示され、事実上の輸入停止となった。
表向きの理由と真の意図
中国外務省の毛寧報道官は19日の記者会見で、「日本は水産物出荷再開の条件を満たしていない」「品質の安全を保証する資料が提供されていない」と説明し、処理水のモニタリングを理由として挙げた。
しかし同時に、「高市首相が台湾に関する誤った発言をした」ことを理由の一つとして明言しており、政治的報復措置の色彩が極めて濃厚だ。さらに毛寧報道官は、高市首相の発言が撤回されなければ「重大な対抗措置」を取ると警告し、一歩も引かない姿勢を示している。
中国共産党系の新聞も「さらなる強硬措置をとる必要がある」と強調し、発言を撤回するまで圧力を継続する方針を明確にしている。
日本産水産物への影響――特にホタテ業界の苦境
北海道ホタテ業界の惨状
日本から中国へ輸出される主要水産物である「ホタテ」は、北海道産が約8割を占める。中国向けの冷凍・冷蔵ホタテの輸出総額は、2021年と2022年には全体の5割を超え、輸出量も2019年から2022年には約8割を占めていた。つまり、中国は日本のホタテ産業にとって圧倒的なナンバーワン顧客だったのである。
紋別市の水産加工会社「丸ウロコ三和水産」の山崎和也社長は、再びの禁輸措置について「名目は処理水と言っているのがこじつけだよね。兆しが見えたところにまた禁輸で逆戻り。(総理の)発言でスタンスが変わる。だからそういう想定をしながら製造販売をしなきゃならないと思う」と嘆きの声を漏らした。
別の業者からは「もうビクビクしながら僕らはやらなきゃならない。仮に再開になっても、すぐまたこういう形になる。禁輸前は(中国への輸出が)全体の2割だったけど、今後それに戻したいという気持ちには正直ならないでしょうね」との声も上がっている。
株式市場への影響
輸入停止の報道を受け、関連銘柄の株価も下落した。ニッスイは3.1%下げた。一方で、中国の水産関連株は買われ、湛江国聯水産開発は20%高、大湖健康産業は10%上昇するなど、中国国内の水産業者にとっては競合が減る「特需」となった。
通関を通過できない現実
日本政府関係者によると、11月上旬に再開された北海道産ホタテも、実際には中国の通関を通過できていないという。せっかく船積みしても、中国の港で止められてしまう状態だ。
前回の禁輸措置からの教訓と対応
2023年の禁輸時の対応策
2023年8月の全面禁輸後、北海道では官民を挙げて消費拡大支援策を展開した。
- 道議会食堂:ホタテの日替わりメニューを提供
- 給食への活用:ホタテが特産の自治体の小学校で、以前にも増してホタテメニューを増加
- 鈴木知事自らのPR:スーパーで知事が自ら販売PRを実施
これらの取り組みにより、国内でのホタテ消費は一定程度喚起された。
輸出先の多角化
より本質的な対応として、日本の水産業界は輸出先の多角化を進めた。中国税関のデータによると、2024年以降、日本から中国への水産物輸入は大幅に減少している。2025年1-9月の魚介類の輸入額はわずか計50万ドル(約7,700万円)にとどまっている。
一方、中国以外への輸出ルート開拓が進展した。函館税関によると、2024年1-6月にホタテ類の輸出は以下のように変化した:
- 米国向け:前年同期の2倍の36億円
- ベトナム向け:10倍ほどの31億円に拡大
日本全体でみると、中国の禁輸の影響で同期間にホタテ輸出は240億円と37%減ったが、米国が中国に代わって最大の輸出先となった。
北海道では、水揚げが振るわない水産物からホタテ加工に切り替える動きも出てきた。マルデン(えりも町)は2025年春に冷凍設備を稼働させ、東南アジアなどへの輸出につなげる計画だ。
中国の代替調達先
中国も日本産に代わる調達先を確保している。2023年9月から2024年7月までのホタテを含む軟体動物の輸入は国別で以下のように急増した:
- インドネシア:前年同期比42%増
- アルゼンチン:2.8倍
- 英国:2.5倍
第一生命経済研究所の西浜徹主席エコノミストは「米中貿易摩擦で米国からの輸入が減った際に南米からの輸入が増えた動きと似ている」と指摘する。
日本政府の対応――冷静さと苦慮の間で
表立った批判を避ける姿勢
木原稔官房長官は19日の記者会見で、「中国政府から連絡を受けた事実はない」と発言し、中国側の措置に対する直接的な批判を避けた。「中国側に輸出円滑化を働き掛けるとともに、残された10都県産の輸入規制撤廃等を強く求める」との従来通りの応答にとどめた。
これは、一層の関係悪化につながることを避ける狙いがあるとみられる。高市首相も11月10日の衆議院予算委員会で「今後は個別案件への明言を控える」と軌道修正し、沈静化を図る姿勢を示している。
水産業者支援策の検討
木原官房長官は20日の記者会見で、国内の事業者支援に取り組む考えを示した。特にホタテへの影響が大きいと指摘し、「輸出先の転換、多角化の推進や、新たな販路開拓などを支援したい」と強調した。
外交関係の長期化を覚悟
しかし、日本政府内では中国による対日強硬姿勢は今後も続くとの見方が広がっている。外務省幹部は中国側が求める首相答弁の撤回は不可能だとし、「関係正常化には4-5年かかるかもしれない」と指摘。別の幹部も「中国は米国とうまく外交関係ができている以上、日本を気に掛ける必要がない。今後も圧力を強めるだろう」と懸念を示した。
実際、11月18-19日に行われた日中外務省局長協議は平行線に終わった。中国メディアの澎湃新聞によると、中国外務省の劉勁松アジア局長は協議結果について「不満だ」と述べている。
水産物以外にも広がる中国の圧力
中国の対日圧力は水産物輸入停止にとどまらず、多方面に及んでいる。
日本産牛肉の輸入再開協議も中止
共同通信によると、中国は日本産牛肉の輸出再開に向けた政府間協議も中国側の意向で中止したことが判明した。日本の畜産業界にとっても新たな打撃となっている。
渡航自粛と人的往来の制限
中国政府は14日、国民に対し日本への渡航自粛を要請。事情に詳しい関係者によると、国有旅行会社2社が既に予約済みだった団体旅行を中止し、中国国有企業は社員にも日本への渡航自粛を指示した。航空券のキャンセルは約50万件に上る可能性があるとの報道もある。
香港の大湾区航空は日本行き航空券の変更を無料とする措置を発表し、中国航空各社も日本路線の削減を相次いで実施している。
日中韓文化相会合の延期
11月20日には、中国の要請により日中韓文化相会合が延期されたことが明らかになった。木原官房長官は「文化交流を萎縮させる」と懸念を表明している。
パンダ貸与の中止も視野に
中国メディアは、日本へのパンダ貸与が「ゼロ」になる現実味が高まっていると報じている。文化・観光分野にも影響が及ぶ可能性がある。
「外交カード」としての水産物――業界の本音
日本の水産業界関係者の受け止めは複雑だ。ホタテやナマコを中心に中国市場に期待する事業者がいる一方、リスクを意識し再輸出に慎重だった漁業関係者も多い。
共通するのは、水産物が「外交カード」として扱われ、経営が翻弄されることへのうんざり感だ。紋別市の水産加工会社社長の「ビクビクしながら僕らはやらなきゃならない」「仮に再開になっても、すぐまたこういう形になる」という発言は、政治に翻弄される現場の切実な声を代弁している。
11月中旬には北海道噴火湾で今季初のホタテが水揚げされ、初競りの平均価格は前年比8割高と過去最高を記録した。しかしこれは喜ばしいニュースというより、需給の歪みを示すものでもある。ホタテ漁は1月頃が最盛期となるため、多く水揚げできたとしても、いまだ冷凍在庫を抱える業者にとっては余剰をさらに積み上げることになりかねない。
さらに、ホタテは育つまでに3-4年かかる。いま在庫を抱えているからといって育てることをやめてしまったら、数年後に急に需要が回復したとしても、その時には逆に生産が追いつかなくなってしまうジレンマがある。
米国の支援表明と国際社会の反応
こうした中国の圧力強化に対し、米国は日本支持の姿勢を明確にした。
グラス駐日米大使は21日、木原官房長官との会談で「日本支持は揺るぎない」と表明。米国務省も「尖閣諸島を含む日本防衛の責務は揺るがない」との声明を発表し、中国の対日威圧に警告を発した。
台湾の頼清徳総統は20日、日本料理店ですしランチをとる様子を公開し、日本への観光や日本産品の購入を呼びかけた。これは中国との違いをアピールし、日本を支援する姿勢を示すものだ。
今後の展望――「チャイナリスク」との向き合い方
短期的な対応
日本政府は当面、以下の対応を取ると見られる:
- 事業者支援の強化:輸出先の多角化支援、新たな販路開拓への財政支援
- 外交努力の継続:中国側との技術的協議を継続し、事態の沈静化を模索
- 国内消費の喚起:ホタテなど影響を受けた水産物の国内消費促進策
中長期的な課題
しかし、より本質的には「チャイナリスク」とどう向き合うかという課題に直面している。
輸出先の多角化は不可避
成長性のあるインドやベトナムを中国に代わる貿易先として有望と感じている日本企業が増えている。新たな市場の発掘や開発が、今後日本の輸出産業のカギを握る。
実際、中国自身が輸入大国から輸出大国への変化を遂げようとしており、日本企業も中国への輸出に頼り続けるわけにはいかない状況だ。
経済安全保障の観点
高市政権が掲げる経済安全保障の強化は、まさにこうしたリスクへの対応でもある。小野田紀美経済安全保障担当相は「中国依存はリスク」と警鐘を鳴らしており、政府は経済安全保障分析を強化するため、政府シンクタンクを50人規模で立ち上げる方針だ。
外交と経済のバランス
一方で、日中の経済的相互依存関係は深く、完全なデカップリングは現実的ではない。高市首相も21日、G20サミット出発前に「中国と戦略的互恵関係を推進する」と述べており、対話の継続を重視する姿勢を示している。
問題は、どこまで毅然とした外交姿勢を取りながら、経済への悪影響を最小化できるかというバランスにある。台湾問題での原則的立場を維持しつつ、水産業などへの影響をどう抑えるか――これは極めて難しい舵取りだ。
まとめ――翻弄される水産業と日本外交の試練
中国による日本産水産物の輸入停止措置は、表向きは処理水のモニタリングを理由としているが、実質的には高市首相の台湾有事に関する答弁への政治的報復である。わずか2週間前に再開されたばかりのホタテ輸出が再び停止され、北海道をはじめとする水産業界は再び「外交カード」として翻弄されている。
2023年の全面禁輸以降、日本の水産業界は米国や東南アジアへの輸出先多角化を進め、一定の成果を上げてきた。しかし、中国市場の規模と重要性は依然として大きく、完全な代替は困難だ。
日本政府は表立った批判を避けながら、事業者支援と外交努力の両面で対応を進めているが、外務省幹部が「関係正常化には4-5年かかるかもしれない」と指摘するように、長期化を覚悟せざるを得ない状況だ。
今回の事態は、日本の外交政策と経済の脆弱性を浮き彫りにした。「チャイナリスク」を前提とした経済構造の構築、輸出先の多角化、経済安全保障の強化――これらは待ったなしの課題である。
同時に、原則を曲げない外交姿勢と経済的現実のバランスをどう取るか。高市政権はまさにこの難題に直面している。水産物という生活に密着した分野が政治の道具とされる現実に、「ビクビクしながら」働く現場の声にどう応えるか――それは日本外交の真価が問われる試金石となるだろう。

