選択的夫婦別姓制度の導入をめぐる議論が、日本で長年続いています。賛成派は「個人の尊厳」や「男女平等」を主張し、反対派は「家族の一体感」や「伝統の保護」を理由に挙げます。しかし、この議論を日本国内だけで見ていては、視野が狭くなってしまいます。世界各国の事例を参照することで、より多角的な視点を得られるのではないでしょうか。
日本の現状―世界で唯一の「夫婦同姓義務」
まず押さえておくべき重要な事実があります。日本は、法律で夫婦同姓を義務付けている世界で唯一の国です。
現行の民法750条は「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」と規定しています。形式上は夫婦どちらの姓でも選べますが、実際には約96%の夫婦が夫の姓を選択しており、事実上「妻が姓を変える」制度となっています。
選択的夫婦別姓制度とは、同姓を希望する夫婦は同姓に、別姓を希望する夫婦は別姓にできる制度です。「すべての夫婦を別姓にする」のではなく、「選択肢を増やす」という点が重要です。
世論調査では、選択的夫婦別姓への賛成が増加傾向にあります。内閣府の調査では、容認する意見が反対を上回る結果が出ています。しかし、国会では依然として実現に至っていません。
世界の夫婦姓制度―3つのパターン
世界各国の夫婦姓制度は、大きく3つのパターンに分類できます。
パターン1:別姓が原則または一般的な国
中国や韓国など東アジアの儒教文化圏では、伝統的に夫婦別姓が原則です。意外に思われるかもしれませんが、儒教では「姓は祖先から受け継いだもので変えてはならない」という考え方があります。
中国では、結婚後も男女とも姓を変えません。子どもは父親の姓を名乗るのが一般的ですが、母親の姓を名乗ることも可能です。韓国も2008年まで夫婦別姓が原則でしたが、現在は選択制となっています。ただし、実際には別姓を選ぶ夫婦がほとんどです。
タイやベトナムでも夫婦別姓が一般的です。これらの国では、姓を変えることが法的に可能ですが、実際に変える人は少数派です。
パターン2:選択的夫婦別姓制度がある国
ヨーロッパの多くの国では、選択的夫婦別姓制度が導入されています。
ドイツでは1976年に選択的夫婦別姓制度が導入されました。夫婦は(1)夫の姓、(2)妻の姓、(3)それぞれの姓を保持、のいずれかを選べます。子どもの姓については、父母どちらかの姓を選ぶか、両方の姓を結合した複合姓とすることができます。
フランスでは、法律上は結婚しても姓は変わらないのが原則です。ただし、配偶者の姓を「使用姓」として社会生活で用いることができます。公式には旧姓のままですが、日常的には配偶者の姓を名乗ることも可能という、柔軟な制度です。
イタリアでは、伝統的に女性は結婚後も旧姓を保持し、夫の姓を併記する慣習がありました。現在は完全な選択制となっており、同姓、別姓、複合姓のいずれも選べます。
スウェーデンやノルウェーなどの北欧諸国も、早くから選択的夫婦別姓を導入しています。これらの国では男女平等意識が高く、姓の選択も個人の自由という考え方が浸透しています。
パターン3:同姓が慣習だが別姓も可能な国
英米法系の国々では、法律で夫婦の姓を規定していないケースが多くあります。
アメリカでは、法律上は結婚による姓の変更義務はありません。しかし、慣習として妻が夫の姓を名乗ることが多く、約70〜80%の女性が夫の姓に変更しています。ただし、近年は別姓を選ぶカップルも増加傾向にあります。
イギリスでも法律上の規定はなく、慣習として妻が夫の姓を名乗ることが一般的です。ただし、別姓を選ぶことも、複合姓にすることも可能で、実際にそうした選択をする人々も増えています。
カナダやオーストラリアも同様で、法的には自由ですが、慣習として同姓を選ぶカップルが多数派です。
各国で別姓が認められた経緯
選択的夫婦別姓制度の導入には、各国それぞれの歴史的経緯があります。
男女平等の観点から
多くの西欧諸国では、女性の権利拡大運動と連動して夫婦別姓が認められてきました。
1970年代から80年代にかけて、「妻だけが姓を変えるのは男女不平等だ」という議論が高まりました。女性が社会進出し、経済的に自立するにつれて、結婚によって姓を変えることへの抵抗感が強まったのです。
国連の女子差別撤廃委員会は、日本に対して繰り返し「夫婦の氏の選択に関する差別的な法規定を廃止すべき」と勧告しています。国際的には、姓の選択における男女平等が人権問題として認識されているのです。
キャリアの継続性から
専門職の女性たちが、結婚による改姓で不利益を被るケースが増えたことも、制度変更の推進力となりました。
研究者や医師、弁護士などは、姓が業績や信用と結びついています。結婚で姓が変わると、それまでの業績が見えにくくなり、キャリアの継続性が損なわれます。論文の著者名が変われば、検索で見つけてもらえなくなる可能性もあります。
こうした実務上の不都合が、制度改正を求める声となりました。日本でも同様の問題が指摘されており、最高裁判所の裁判官が意見書で「仕事上の不利益」について言及しています。
家族の多様化への対応
事実婚カップルの増加も、制度見直しの契機となりました。
同姓を強制されることに抵抗があり、法律婚ではなく事実婚を選ぶカップルが増えると、子どもの権利保護などの問題が生じます。選択的夫婦別姓を認めることで、より多くのカップルが法律婚を選択できるようになり、結果として家族の法的保護が強化されるという考え方です。
別姓制度による社会への影響
選択的夫婦別姓を導入した国々で、実際にどのような影響があったのでしょうか。
家族の一体感は損なわれたか
反対派が最も懸念するのが「家族の絆が弱まるのではないか」という点です。しかし、別姓を認めた国で家族が崩壊したという事例はありません。
ドイツでは、導入から約50年が経過していますが、家族の一体感が失われたという報告はありません。むしろ、個人の尊重と家族の絆は両立するという認識が広がっています。
フランスやイタリアでも、別姓夫婦の家族関係が同姓夫婦より悪いというデータはありません。姓が同じかどうかではなく、夫婦の相互尊重や愛情が家族の絆を決定すると理解されています。
子どもへの影響は
「両親の姓が違うと子どもが混乱する」という懸念もあります。しかし、多くの国で子どもは問題なく育っています。
中国や韓国では、伝統的に夫婦別姓ですが、子どもたちは何の混乱もなく育っています。欧米の別姓家庭の子どもたちも、両親の姓が異なることを自然に受け入れています。
重要なのは、社会全体がどう受け止めるかです。別姓が一般的な社会では、子どもも自然にそれを受け入れます。逆に、別姓が珍しい社会では、子どもが戸惑う可能性もあります。つまり、制度そのものより、社会の受容度が影響すると言えます。
実際の選択率は
選択的夫婦別姓制度を導入した国で、実際にどれくらいの夫婦が別姓を選んでいるのでしょうか。
ドイツでは、別姓を選ぶカップルは約10〜15%程度とされています。多くのカップルは依然として同姓を選んでいますが、選択肢があること自体が重要だと考えられています。
フランスでは、公式には全員が旧姓を保持していますが、「使用姓」として配偶者の姓を名乗る人が多数派です。柔軟な運用が特徴です。
つまり、選択的夫婦別姓制度を導入しても、多くの人は同姓を選ぶのが実情です。「別姓を認めたら家族制度が崩壊する」という懸念は、実際のデータからは裏付けられていません。
日本が学べること
世界の事例から、日本が学べることは何でしょうか。
選択の自由の重要性
最も重要なのは、「選べる」こと自体に価値があるという点です。
同姓を希望する人は同姓を、別姓を希望する人は別姓を選べる。これは個人の尊重という民主主義の基本原則に合致します。どちらかを一方的に押し付けるのではなく、多様な選択を認めることが、成熟した社会の姿ではないでしょうか。
段階的な導入の可能性
一部の国では、段階的に制度を拡充してきました。
最初は限定的な別姓使用を認め、徐々に範囲を広げていくアプローチです。日本でも、まずは通称使用の拡大から始め、将来的に法的な選択制へ移行するという段階的な方法も考えられます。
実務上の工夫
各国の事例から、実務上の工夫も学べます。
子どもの姓をどうするか、公文書での表記をどうするかなど、具体的な運用方法については、既に多くの国が試行錯誤を重ねています。こうした先行事例を参考にすれば、スムーズな制度導入が可能でしょう。
まとめ―多様性を認める社会へ
世界を見渡せば、夫婦の姓に関する制度は実に多様です。法律で同姓を強制している国は日本だけであり、多くの国が何らかの形で選択肢を提供しています。
重要なのは、別姓を導入した国で深刻な社会問題が発生したという事例がないことです。家族の絆は姓の同一性ではなく、相互の尊重と愛情によって保たれるという認識が、世界の共通理解となっています。
日本の議論は、しばしば「伝統を守るか、変えるか」という二項対立に陥ります。しかし、世界の事例が示すのは、伝統を尊重しながらも個人の選択を認めることは可能だという事実です。
選択的夫婦別姓制度は、同姓を希望する人の選択を奪うものではありません。むしろ、より多くの人々の希望を実現できる制度です。多様な価値観を認め合う成熟した社会に向けて、建設的な議論を続けることが求められています。

