はじめに
2025年11月、高市早苗首相が安全保障関連3文書の改定に伴い、非核三原則の見直しを検討していることが明らかになった。1967年から約58年間にわたって日本の「国是」として守られてきた非核三原則が、今なぜ転換点を迎えているのか。本記事では、非核三原則とは何か、核兵器をめぐる世界の現状、日本の置かれている立場、そして見直しに伴う懸念について、事実に基づき整理する。
非核三原則とは何か
定義と成立の経緯
非核三原則とは、核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」という日本政府の基本方針である。1967年に佐藤栄作首相が衆議院予算委員会で表明し、1971年11月24日、沖縄返還協定の可決に際して衆議院本会議において正式に決議された。
この三原則は憲法に明記されているわけではなく、法律でもない。あくまで政府の方針であり、国会決議によって「国是」として位置づけられてきた。
三原則の内容
「持たず」「作らず」 については、1976年に日本が核不拡散条約(NPT)を批准したことにより、国際法上の義務となった。
「持ち込ませず」 については、日米安全保障条約の事前協議により米軍の核兵器持ち込みを拒否するという態度をとってきたとされる。ただし、事前協議の発議権は米国にあり、日本は基地や艦船への立ち入り検査の権限を持たないことと、核兵器の所在を明らかにしないという米国の政策が相まって、この原則の実効性には疑問が投げかけられてきた。
「密約」問題
実際、核兵器を搭載した艦船の寄港や、有事における沖縄への核の再持ち込みについて、日米間に「密約」があるという指摘が研究者などによって繰り返されてきた。2010年に外務省に設置された有識者委員会の調査により、1960年に核を積んだ艦船の通過や寄港を黙認する密約が日米間で結ばれていたことが明らかになっている。
核兵器をめぐる世界の現状
核保有国と核弾頭数
2025年1月時点で、世界の核兵器総数は12,241発と推定される。核兵器保有国は以下の9カ国である。
- ロシア
- 米国
- 中国
- フランス
- 英国
- インド
- パキスタン
- イスラエル
- 北朝鮮
このうち、約90%をロシアと米国が保有している。
「現役核弾頭」の増加傾向
注目すべきは、「現役核弾頭数」の動向である。これは核弾頭「総数」から「退役・解体待ち」弾頭を引いたもので、実際に配備中または配備に備えて保管されている弾頭の数を示す。
2025年6月現在、現役核弾頭は9,615発で、前年から32発増加した。2018年に現役核弾頭数が増加傾向に転じて以降、合計364発増加している。
冷戦終結以来、ロシアと米国による退役弾頭の解体により、世界の核兵器在庫は減少してきた。しかし、解体のペースが鈍化する一方で、新たな核兵器の配備が加速しており、この傾向は今後数年間で逆転する可能性が高いとされている。
各国の核戦力近代化
すべての核保有国が、保有核兵器の質的向上を進めている。中国は核戦力を急速に拡大しており、米国防省の報告書によれば、2030年までに少なくとも1,000発の核弾頭を保有する可能性があるとされる。
北朝鮮も核・ミサイル開発を継続しており、2024年時点で推定50発程度の核弾頭を保有している可能性がある。
日本の安全保障環境
「核の傘」への依存
戦後の日本は、核超大国である米国との同盟関係を軸に自国の安全保障を図ってきた。その象徴が「核の傘」(拡大核抑止)である。これは、日本を攻撃すれば、米国から核兵器で反撃されるという抑止力によって、日本への攻撃を思いとどまらせる考え方である。
1976年に閣議決定された「防衛計画の大綱」では、「米国の核抑止力に依存する」と明記され、以降の改定でも踏襲されてきた。
「核の傘」の信頼性をめぐる議論
日本政府は、唯一の被爆国として「核兵器廃絶」を目指すと表明する一方で、日本の安全保障は米国の「核の傘」によって保全されているとしている。これは論理的な矛盾を含んでいる。
さらに、「核の傘」の信頼性については、様々な疑問が提起されてきた。
- 日米安全保障条約には核兵器に関する記述がなく、「核の傘」は法的拘束力のない日米ガイドラインに基づいている
- 米国が自国の存立を危険にさらしてまで、同盟国のために核兵器を使用するかどうかは不確実である
- 防御国(米国)と被保護国(日本)が、究極的には自国の安全と存続を最優先するため、決定的な国益の対立が生じる可能性がある
2022年のロシアによるウクライナ侵攻において、米国が核戦争のリスクを避けるために慎重な姿勢を取ったことは、「核の傘」の実効性に対する懸念を強める結果となった。
周辺国の脅威
日本を取り巻く安全保障環境は、非核三原則が表明された1967年とは大きく異なっている。
- 中国: 軍事費は過去20年で大幅に増加し、2024年には推定2,960億ドル(約44兆円)に達した。核戦力を急速に拡大している
- 北朝鮮: 核・ミサイル開発を継続し、推定50発程度の核弾頭を保有している可能性がある
- ロシア: ウクライナ侵攻において核兵器使用の可能性に言及し、核の脅威を顕在化させた
日米の対応
こうした状況を受けて、日米両政府は拡大抑止の維持・強化に向けて協議を重ねてきた。2010年から「日米拡大抑止協議」を開始し、2024年7月には初の閣僚会合を開催した。
2024年12月、日米両政府は米国が核を含む戦力で同盟国を守る「拡大抑止」に関するガイドラインを初めて策定した。指針の詳しい内容は公表されていないが、両国の意思疎通のあり方の改善や、日米の抑止力を最大化するための対外発信の方法などが盛り込まれている。
非核三原則見直しの論点
見直しを主張する立場
安全保障上の理由
見直しを主張する立場からは、以下のような理由が挙げられている。
「持ち込ませず」が抑止力を低下させる: 核兵器を搭載した米軍艦艇が日本に寄港できないことで、有事における米国の核抑止力の実効性が低下する可能性がある。
周辺国の軍事的脅威: 中国、北朝鮮、ロシアといった核保有国による軍事的脅威が高まる中、実効的な抑止力を強化する必要がある。
「核の傘」の信頼性確保: 米国の拡大核抑止の信頼性を高めるためには、平時から核兵器の配備や運用について協議し、準備しておく必要がある。
高市首相の見解
高市早苗首相は、首相就任前の2024年9月に出版した編著『国力研究』の中で、非核三原則が「邪魔だ」とし、特に「持ち込ませず」の部分を検討する必要があると主張していた。
2025年11月11日の衆議院予算委員会では、安全保障関連3文書の改定後に非核三原則の文言を堅持するかについて「私から申し上げる段階ではない」と述べ、明言を避けた。
木原稔官房長官も、安全保障関連3文書の改定に伴い非核三原則の見直しを想定しているのかと問われ、「現時点で予断することは差し控える」と明言を避けている。
見直しに慎重な立場
被爆国としての立場
広島・長崎の被爆者団体は反対: 2025年11月、被爆者団体は非核三原則の見直しに対して反対声明を発表した。
唯一の戦争被爆国としての責務: 日本は、広島・長崎の原爆体験を踏まえ、核兵器廃絶を訴える特別な立場にある。非核三原則の見直しは、この立場を大きく損なう可能性がある。
実効性への疑問
米国は既に戦術核兵器を撤去: 米国は冷戦後の1992年、水上艦と攻撃型原潜から戦術核兵器を撤去した。2010年には核トマホークの退役も発表している。
弾道ミサイル原潜の寄港は非現実的: 戦略核兵器を搭載した弾道ミサイル原潜(SSBN)は隠密行動を求められるため、有事に浮上して日本に寄港する事態は現実的ではないとの指摘がある。
真の目的は地上配備か: 見直しの真の目的は、艦船の寄港ではなく、米軍のミサイルシステムの永久配備と将来の核ミサイル搭載を可能にすることではないかとの指摘もある。
国際的な懸念
野党の反対: 立憲民主党や共産党などは、非核三原則の堅持を主張している。
国会決議の重み: 非核三原則は法律ではないが、1971年に国会で決議された「国是」である。これを変更することは、戦後日本の基本政策の転換を意味する。
見直しに伴う懸念
被爆国としての立場の変化
日本は唯一の戦争被爆国として、核兵器廃絶を訴える特別な立場にある。非核三原則の見直しは、この立場を大きく揺るがす可能性がある。
2017年に国連で採択された核兵器禁止条約に日本は参加していないが、これは日本が米国の「核の傘」に依存しているためである。非核三原則の見直しは、核兵器禁止条約への日本の不参加をさらに疑問視させることになる。
核軍拡競争の懸念
日本が非核三原則を見直した場合、周辺国が反発し、地域の軍拡競争を加速させる可能性がある。
特に韓国では、北朝鮮の核脅威を背景に核武装論が浮上しており、日本の政策転換がこれを後押しする可能性がある。
周辺国との緊張激化
中国外務省は、2025年11月14日の定例記者会見で、非核三原則見直しの議論について「国際社会に危険なシグナルを発している」と強く批判した。また、中国国防省は日本が台湾情勢に介入した場合の軍事的対応にも言及しており、地域の緊張が高まっている。
一方で、こうした反応自体が、日本の安全保障政策の見直しが周辺国に与える影響の大きさを示しているという見方もある。ただし、外交的緊張を高めることが日本の国益にかなうかどうかは、慎重に検討する必要がある。
核廃絶への取組との矛盾
日本政府は、唯一の被爆国として核兵器廃絶を目指すと表明してきた。しかし、「核の傘」に依存しながら核廃絶を訴えることは、論理的な矛盾を含んでいる。
非核三原則の見直しは、この矛盾をさらに拡大させる可能性がある。核兵器の政治的・軍事的必要性を含意する「核抑止論」を克服しなければ、「核兵器のない世界」を実現することは困難である。
国民的合意の必要性
非核三原則は、約58年間にわたって日本の「国是」として守られてきた。これを変更することは、戦後日本の基本政策の大転換を意味する。
このような重大な政策転換を行うには、国民的な議論と合意が不可欠である。しかし、現時点では十分な国民的議論が行われているとは言い難い。
今後の課題
冷静な国民的議論の必要性
非核三原則の見直しは、日本の安全保障政策の根幹に関わる問題である。安全保障と平和理念のバランスをどう取るかは、最終的には国民一人ひとりが考え、判断すべき問題である。
賛成派・慎重派の両方の意見には、それぞれ重要な論点が含まれている。どちらか一方が絶対的に正しいという答えはなく、冷静で建設的な議論が求められる。
実効的な安全保障政策の模索
日本の安全保障をどのように確保するかは、国家の存立に関わる死活的に重要な課題である。
「核の傘」の信頼性に疑問がある以上、それに代わる、あるいはそれを補完する安全保障政策を真剣に検討する必要がある。これには、通常戦力の強化、ミサイル防衛システムの充実、同盟関係の深化、地域的な安全保障の枠組みの構築など、様々な選択肢がある。
核軍縮への貢献
日本は、被爆国として核軍縮・核廃絶に向けた国際的な取組において、特別な役割を果たすことができる。
核保有国に対して核軍縮を促すとともに、「北東アジア非核兵器地帯」構想など、地域の非核化に向けた具体的な提案を行うことも考えられる。
透明性と説明責任
政府が非核三原則の見直しを検討するのであれば、その理由、目的、想定される効果と懸念について、国民に対して丁寧に説明する責任がある。
また、検討のプロセスについても、できる限り透明性を確保し、国民的な議論の材料を提供することが求められる。
おわりに
非核三原則の見直しは、日本の安全保障政策における重大な岐路である。1967年以来、約58年間にわたって日本の「国是」として守られてきた原則を変更することは、戦後日本の基本政策の大転換を意味する。
周辺国の軍事的脅威が高まる中、日本の安全保障をどのように確保するかは、喫緊の課題である。一方で、唯一の戦争被爆国として、核兵器廃絶を訴えてきた日本の立場をどう維持するかも、重要な問題である。
安全保障と平和理念、現実主義と理想主義、短期的な安全と長期的な平和――これらのバランスをどう取るかは、容易に答えの出る問題ではない。
だからこそ、冷静で建設的な国民的議論が必要である。賛成派・慎重派の双方の主張に耳を傾け、事実に基づいて論点を整理し、日本の将来にとって最善の選択を模索していくことが求められている。
※本記事は2025年11月時点の公開情報に基づいて作成されたものであり、事実関係の記述に努めています。

