衆議院解散・総選挙を目前に控え、「食料品の消費税ゼロ」が大きな争点として浮上しています。高市首相は2年間の時限措置としてゼロ税率を検討する方針を示し、立憲民主党と公明党が結成した新党「中道改革連合」は恒久的なゼロ税率を基本政策に掲げました。
物価高に苦しむ国民にとって、食料品の消費税がなくなれば家計の負担が軽減される——一見すると非常に魅力的な政策に思えます。しかし、この政策には「光」だけでなく「影」も存在します。今回は、食料品消費税ゼロが実現した場合の影響について、多角的な視点から検証していきます。
消費者にとっての「期待される効果」
まず、消費者にとってのメリットを整理しましょう。
現在、食料品には軽減税率8%が適用されています。これがゼロになれば、単純計算で食料品の価格が約7.4%安くなる可能性があります(税込価格108円が100円になる計算)。総務省の家計調査によると、2人以上世帯の食料支出は月平均約8万円程度。仮に8%分がそのまま値下げされれば、月に約6000円、年間で約7万円程度の負担軽減になる計算です。
特に低所得者層や年金生活者にとって、食費は支出に占める割合が高いため、恩恵は相対的に大きくなります。消費税は所得に関係なく一律に課税される「逆進性」を持つ税金であるため、その軽減措置は社会的な公平性の観点からも一定の意義があると言えます。
また、スーパーなど食料品を扱う小売業者からは「大歓迎」の声も上がっています。消費者の購買意欲が高まれば、売上増加につながる可能性もあるためです。
「8%安くなる」とは限らない現実
しかし、ここで注意が必要なのは、消費税がゼロになっても商品価格がそのまま8%下がるとは限らないという点です。
コロナ禍の2020年、ドイツは経済対策として付加価値税(VAT)の標準税率を19%から16%に、軽減税率を7%から5%に半年間引き下げました。しかし、実際の価格への反映は限定的だったとされています。事業者がコスト上昇分を吸収するために減税分を価格に反映しなかったり、そもそも値札の変更が追いつかなかったりしたためです。
また、2018年にマレーシアが税率6%の付加価値税を廃止した際も、物価は6%下がるどころか1%程度しか下がらなかったという報告があります。消費税分がそのまま価格に転嫁されていなかったことを示唆しています。
日本でも同様の事態が起こる可能性は十分にあります。原材料費や人件費、物流コストが高騰している現状では、事業者が減税分を価格に反映する余裕がない場合も考えられます。
飲食店にとっては「実質増税」の恐れ
さらに深刻なのが、飲食店への影響です。
現在の消費税制度では、事業者は「売上にかかる消費税」から「仕入れにかかる消費税」を差し引いて納税します(仕入税額控除)。例えば、1000円の料理を提供して100円の消費税を受け取り、食材仕入れで80円の消費税を支払っていた場合、納税額は差額の20円となります。
ところが、食料品の消費税がゼロになると、飲食店は食材を仕入れる際に消費税を支払わなくなるため、差し引ける金額がなくなります。その結果、受け取った消費税100円をまるごと納税しなければならなくなり、実質的な税負担が増加する可能性があります。
この問題は「非課税」と「ゼロ税率(免税)」の違いに起因します。イギリスのように「ゼロ税率」を採用すれば仕入税額控除が可能ですが、日本で「非課税」として扱われた場合は控除ができません。現時点で政府・各党からこの点についての明確な説明はなく、制度設計次第では飲食店が大きな打撃を受ける恐れがあります。
コロナ禍からようやく回復しつつある飲食業界にとって、この「増税」は致命的です。特に利益率の低い個人経営の飲食店では、経営が立ち行かなくなるケースも出てくるでしょう。フードジャーナリストの山路力也氏は「各党には人気取りの側面だけではなく、飲食店の現実を見据えた税制改革の真剣な議論をお願いしたい」と警鐘を鳴らしています。
税制の複雑化がもたらす混乱
食料品の消費税ゼロは、税制をさらに複雑化させる問題もはらんでいます。
現在でも「店内飲食は10%、テイクアウトは8%」という軽減税率の区分で、事業者も消費者も混乱しています。ここに「食料品はゼロ%」が加わると、どこまでが「食料品」でどこからが「外食」なのか、線引きの問題がさらに深刻化します。
イギリスでは食料品にゼロ税率を適用していますが、その区分をめぐって長年議論が続いています。有名なのは「ケーキかビスケットか」を争った裁判で、10年以上も係争が続いた例もあります。チョコレートでコーティングされたビスケットは課税対象、されていないビスケットは非課税という細かい区分があり、事業者の事務負担は相当なものです。
ドイツでも、ジャガイモは軽減税率7%なのにサツマイモは標準税率19%が適用されるなど、判断が難しいケースが多々あります。日本で同様の制度を導入すれば、事業者の負担増加は避けられません。
2年後の「反動」という時限爆弾
高市首相が示した「2年間の時限措置」にも大きな懸念があります。
2年後に食料品の消費税が復活した場合、消費者は「実質値上げ」と受け止めます。スーパーでは復活前の駆け込み需要と、復活後の買い控えが発生し、需要の波が大きく乱高下する可能性があります。専門家からは「2年後に本当に復活できるのか」「元に戻す際に大きな混乱を招くのではないか」という懸念の声が上がっています。
また、時限措置の場合、事業者はレジシステムの改修を2年間で2回行う必要があります。ポップの作り直しなど、店舗運営にも大きな負担がかかります。あるスーパーの代表者は「実際の消費税ゼロが施行されるタイミングの1か月くらい前から、保存食中心に買い控えが起きるのではないかと懸念している」と語っています。
財源問題と将来の増税リスク
食料品の消費税をゼロにした場合、年間で数兆円規模の税収減が見込まれます。中道改革連合は「ジャパンファンド」の創設など新たな財源確保策を提唱していますが、その実現可能性には疑問符がつきます。
仮に赤字国債で賄えば、財政への不安からさらなる円安を招きかねません。また、食料品の減収分を補うために、将来的に標準税率(現在10%)が引き上げられるリスクも指摘されています。一部の専門家は「食料品だけゼロ%にすると、他の税率を20%や25%に引き上げられる可能性を高めることになる」と警告しています。
さらに、食料品がゼロ税率になれば、他の業界からも軽減を求める陳情運動が活発化する可能性があります。新聞業界が軽減税率8%を獲得した経緯を考えると、政治家と業界団体との癒着の温床になりかねないという懸念もあります。
海外の事例から学ぶ
食料品の消費税(付加価値税)をゼロまたは軽減税率にしている国は世界に多数存在します。イギリスは食料品にゼロ税率を適用し、ドイツは7%、フランスは5.5%の軽減税率を設けています。
ただし、これらの国は標準税率が高く(イギリス20%、ドイツ19%、フランス20%)、その中での軽減措置という位置づけです。日本の標準税率10%、軽減税率8%という水準は、国際的に見ても低い部類に入ります。
また、イギリスでは食料品へのゼロ税率適用により、付加価値税収の約14.6%に相当する巨額の税収が失われているとの試算もあります。税制の公平性と税収確保のバランスは、どの国でも難しい課題となっています。
本当に必要な政策は何か
食料品の消費税ゼロは、一見すると消費者に優しい政策に見えます。しかし、実際には価格が8%下がる保証はなく、飲食店には増税となる可能性があり、税制の複雑化、財源の問題、2年後の反動リスクなど、多くの課題を抱えています。
専門家の中には「食料品だけでなく、消費税全体を一律に引き下げるべき」「給付付き税額控除など、より効果的な低所得者支援策を検討すべき」という意見も少なくありません。中道改革連合も「給付付き税額控除」の早期導入を基本政策に掲げており、消費税減税だけでなく複合的な対策が必要との認識は共有されているようです。
一方、国民民主党の玉木代表は「食料品消費税ゼロは飲食店に大打撃」として反対の立場を表明しています。同じ野党内でも意見が分かれており、この政策が単純な「善悪」で判断できない複雑な問題であることを示しています。
物価高に苦しむ国民生活を支援したいという政策意図自体は理解できます。しかし、選挙向けの「聞こえの良い」政策ではなく、現場への影響や副作用を十分に検討した上で、実効性のある制度設計が求められます。特に「非課税」なのか「ゼロ税率(免税)」なのかという制度の根幹に関わる部分が曖昧なままでは、国民は正しい判断ができません。
おわりに
今回の総選挙では、与野党がこぞって消費税減税を公約に掲げる異例の展開となっています。それだけ物価高に対する国民の不満が大きいということでしょう。
しかし、政策は「やって終わり」ではありません。実施後の影響、元に戻す際の混乱、財源の確保など、中長期的な視点での検討が不可欠です。特に時限措置の場合は、期限が来た時にどうするのかという「出口戦略」も含めて議論されるべきでしょう。
地域の飲食店や個人商店を守りながら、消費者の負担も軽減する——この両立は容易ではありませんが、だからこそ政治の知恵が問われます。
「食料品消費税ゼロ」という言葉の響きに惑わされず、その中身を冷静に見極めることが、私たち有権者に求められているのではないでしょうか。

